8.「仕事の一般化」そして「経営者とお客様の視点」

8.「仕事の一般化」そして「経営者とお客様の視点」

— それは、商社時代、疑問に感じていた部分ですね。

齊藤: そう、顧客視点。大切だよね。

          常に、「会社の経営の立場」、「お客様の立場」

          それぞれの視点があったので、何か議論になった時は、

          必ず、そのロジックで考えるようにしていたんだよね。

          これは、たぶん小売じゃなくても絶対通じることだと思う。

          その2点かな。

— 「仕事を整理して一般化すること」と、「社長とお客様の視点を持ち考え行動に移すこと」、この2つですね。

齊藤: 仕事を、誰でも引き継げる形にする。

          誰でも出来る「仕事の仕方」を作っていくこと。

          そして、経営者とエンドユーザー、

          それぞれの視点で考えて、仕事をしてきた。

          そうすることによって、

          もう、その会社でしか通用するルールではなく、

          どこに行っても応用することができる、概念化できている。

          今まで、自分がやってきた仕事のノウハウを体系化することで、

          新しいクライアントに提供することができる。

          しかも、常に色々なお客様と関わることで、

          新しいインプットがされていくので、

          過去のものをブラッシュアップして、

          次のクライアントに提供することが出来る。

— インディペンデント・コントラクターとして必要な視点ですね。

齊藤: そうですね。

          あとは、クライアントがリテール対象なので、

          「お客さんだったらどっちを選ぶか」

          この視点で考えることによって、自然と結論が出てくる。

          そういう仕事をして来たからこそ、

          クライアント企業の担当者にも理解しやすく伝わる。

          その人が、もし転職とかで、働く場所、会社が変わった時にも

          「役立つ視点ですよ」

          って、そういう形で情報を提供することができる。

— なるほど・・・・その他に仕事をする上で心掛けていることはありますか?。

齊藤: 意識していることとしては、

          自ら、どんどん情報をオープンすることによって、

          次にインプットするためのキャパを

          「自分の中」に持つこと、みたいなイメージかな。

          その繰り返しをすることで、

          自分が自然と成長していくと思うし。

          これは、独立を目指している人でなくても、

          会社の中で仕事をする上でも、大切な視点だと考えていますね。


          *IC(インディペンデント・コントラクター)とは、

          サラリーマンでも、事業家でもなく、

          フリーエージェントである働き方。

          “期限付きで専門性の高い仕事”を請け負い、雇用契約ではなく

          業務単位の請負契約を“複数の企業”と結んで活動する

          “独立・自立した個人”のこと。


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10.華やかな経歴の裏の気持ち

10.華やかな経歴の裏の気持ち

— 経験を積む中で、今考えると「キャリアの危機だった体験」があれば紹介してください。

齊藤: 商社時代に、出向先のアパレル企業で働いていた時かな。

          ひとりで行って、生産と物流って、自分しかできない状況で。

          

— そうなんですか?すごく充実して、華やかな印象ですけど。

齊藤: 自分が、しっかりしないとビジネスが止まる、

          そういう状況に置かれていて。

          誰かに泣きつけばいい、とかいう状況ではなかったので。

          みんな、それぞれプロとして集まって、それぞれの仕事を全うする、

          という状況下で仕事をしていた。

          そんな中に、入社して3年目で入ったので。

          それは、自分にとっても、かなりなプレッシャーで。

          

— それは、自ら手を挙げていったんですか?先輩の仕事の引き継ぎとかではなく。

齊藤: いや、ぼくが初めで。

          あの頃、商社でブランドビジネスを立ち上げるのが、流行っていて。

          それで、そういう話を持ってきて、やるっていうことだけが

          決まっていた。本当に、それだけが決定していて。

          あとは、全部、ひとりで一から作らないといけない状況で。

          自立して自分でやらないと、誰も助けてくれないし。

          

— そうだったんですね。

齊藤: 本当に、それがあったから、

          その後の色々な経験にも耐えられた気がする。

   

— では、最後に読者のみなさん、特に若い世代の方々にメッセージお願いします。

齊藤: 「未来の目標から逆算すること」かな。

          10年単位とか、何歳まで働くか。

          それを決めて、70歳、75歳まで、働くとして。

          まず、その時点でどうしていたいか、どうなっていたいのか。

          それを考えて、描いていくと、直近に何をしないといけないか、

          考えやすくなるでしょう。

          例えば、老後はハワイのリゾートで暮らしたい、と考えたとして、

          それには、いくら稼がないといけないかとか、

          どんな人脈を作らないといけないとか、

          具体的に考えられるようになるから。

          計算すると、分かってくるでしょう。

          今の会社にこのまま勤めていていいのかとか、資産運用とか。

   

— 逆算して、具体的に考えていくんですね。

齊藤: 未来の目標から逆算する。

          「今、何しないといけないか」って考えるのは難しいでしょ。

          将来何したいですか、どうしたいですかと考えて、

          それによって、今の生き方を考える。

          人生の最終ゴールのような先まで考えられなくても

          10年後どうなっていたいか、

          あるいは3年後何をしていたいかでもいい。

          ドラッカーの言葉で、

          「何によって、覚えられたいか」ってあるけど、

          誰かが、じぶんを紹介する時に、

          「この人は◯◯です」って、

          どう説明されたいか、どういう自分になりたいか。

          「3年後に、こういう仕事をしていたい」って、

          それを見つけて、専門家になることを心がけてきた。

          キーワードを見つけて、覚えられるためには、

          専門知識や実績、経験が必要で。

          それには、やっぱり、3年は必要だと思うので。

          パーソナルブランドを確立するためには、3年後を意識して

          今から準備することが大事だから。

          なので、3年後に「何によって覚えられたいか」

          を意識して種まきをすることが大切。

          

— それは、会社に勤めている人もですよね?

齊藤: うん、それは社内でも必要。

          例えば、3年後にニューヨーク駐在員になりたいとか。

          そうだとしたら、社内の誰からも、「あいつしかいない」って

          言われるために何をしたらいいかとか。

          

— 今の話に関係して、齊藤さんは将来どうなっていたいなって考えていますか?

齊藤: そうですねぇ。

          ワークショップで、「子供たちとか若い人たちに向けて

          話をしている老人になった自分の姿」ですね。

          それって、今の仕事に関係しているものではなくて、

          もっと働き方とか、生き方とか、自然との関わり方とか。

          それを教えられるきっかけを作るために、

          55歳でセミリタイヤして、2年間海外で過ごそうと計画している。

          それまでの2年間は、日本を離れても大丈夫な、

          仕事のやり方を考えたり、お金の準備をしたり。       

          2年間で8都市、同じ場所に住み続ける予定で、

          香港とニューヨークは決めているんだけどね。

          そこで、長期滞在ホテルかアパートを借りて、

          生活者として住んで、体感してみたいと思ってる。

          

— すごい、具体的ですね。それは今の仕事と、共通点ありますか?

齊藤: 今も、年に1回、海外にいっていて。

          その主な目的は、ファッションストアをみることだけど。

          文化とか社会、働くこと、仕事の価値観とか、

          そういうものを、感じ取ってきたいという気持ちが強くなった。

          いわゆるキャリアについてですかね、そういうのを。

          毎年、続けているリサーチ旅行というのは、

          その都市探しも兼ねて、いろいろ見ている。

          ロンドンや、今回行ったストックフォルムも、いいなとか。

          先進国にいって、日本人の働き方とか、生き方とか、

          商社にいた時は、もので日本を豊かにしたいと思ってたけど、

          それを今度は、ハードではなく、考え方とか

          ソフトの部分で、提供したいと考えている。

          比較的、独立心を持った国の人とか、

          台湾とか、参考になりそうだし、興味あるよね。

          

— そうだったんですね。

齊藤: 将来の絵を描くにあたって、

          影響を受けたものが、実はもうひとつあって。

          沢木耕太郎のショートショートで、

          「彼らの流儀」っていうのがあって。

          人生の中で、実現したい絵を持っている人たちの

          「ひたむきな生き方」、「人生の裏側」を綴っている本で。

          それを読んで、

          「自分はどういう絵を書きたいかな」と思った。

          それで浮かんできたのが、自分がもう白髪になっているんだけど、

          若い人や子供の前で、ワークショップをしているような。

          そんな老人のイメージが頭の中に、実はあるんだ。

          だから、それを目指して生きているって感じ。

          単純というか、思い込みがすごいんだけど。

          

— こういう形で、お話を伺わないと想像できない未来像でした。でも、着実に、準備が進んでいる気がします。今日は、貴重なお話を伺うことができました。本当にありがとうございました。

齊藤孝浩さんプロフィール

   

   

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9.SNS全盛の時代に乗って

9.SNS全盛の時代に乗って

— 今、色々お話していただいた中で、「転機だった」って思うエピソードありますか?

齊藤: アメリカで偶然出会った、

          ICという働き方を実践していたおじさんの存在かな。

          その経験がなければ、その働き方を知らなければ、

          小資本で独立して在庫抱えて、今ごろ苦しんでいたかも知れないし。

       

— しかも、その出会いの瞬間は、その働き方を探していた訳でなく本当に、偶然だったのですよね?

齊藤: うん、そうでした。

          その時は、「へーっ」て感じで聞いていた訳だし。

          あともう一つは、ICとして働き始めて、

          インターネットを使うことが当たり前になってきたこと。

          特にブログやSNSの広がりかな。

          これは、すごく大きく影響していると思う。

          自分みたいに、ひとりで仕事する人たちも、

          大企業と同じ情報発信ツールを手に入れることが出来た。

          

          それまでは、口頭で伝えることによって広がりを作って、

          偶然の繋がりを呼び寄せることが必要だったけど。

          そうやっって、自ら発信をしていることで、

          周りから、ふっと、ご縁を作ってくれる人が現れる。

          そういう環境を、実際に行動することで作り出していたんだけど。

   

— それには、スキルだけでなく、行動力や人脈も必要でしたよね。

齊藤: うん、そうでした。       

          それが、ITを通して、SNSを活用することで、

          その発信した内容の普及が、加速度的に広がっていく。

          あの人、こういうことを考えているんだなって、

          独立した人が、情報発信する環境が、大きく変化して。

          自分の縁とか夢を引き寄せるスピード感が、

          格段に、アップして来た。

          そういう意味では、ICとして働くことは、

          以前より、アドバンテージが上がっていると言えるかな。

  

— 伝えたり発信するためには、自分の夢とか、やりたいこと、考え方を、より明確にしなければいけないとも思うのですが。

齊藤: もともと、将来こういうことがしたいから、       

          どういう人脈が必要か、どういうスキルやノウハウが必要か。

          そういうことは、意識して行動していたかな。

          で、それを促進してくれるインフラが、SNSだと思う。

  

— ICとして継続して活躍していくうえでSNSの存在は大きかったということですね。これ以外に、知識や情報の更新をする上で心掛けていることはありますか?

齊藤: 今やっていることや、提供しているノウハウは、       

          すべて、クライアント企業に渡していきたいと考えている。

          自分はその空いた部分に、インプットをしていきたいなって、

          そういう意識が強くあるので。

          仕事って、3年周期で周っていると実感していて、

          その、3年後に新しいことを始めるには、インプットが大切で。

          

— 3年周期ですか?

齊藤: そう。

          まだ、気がついていなかったり、専門家がいなかったり。       

          それを見つけて、ブログやSNSで発信して。

          それが、ちょうど3年の周期で繰り返される感じ。

          そういう視点で、情報を毎日意識してみていると、

          なんとなく、目に入ってくるようになるんだよ。

          新聞などのメディアで、記者が新しく使う言葉や、

          海外での出来事など、早いところに目をつけて、

          話題にしている人たちからの情報に、

          自分なりの、考えや情報を付け加える。

          それが、積み重なっていくことで、

          自分自身が、まだ認知されていない新しいことについての

          専門家になれる可能性が高くなる。

          特に、ブログなんかのオープンな場所で発信していると、

          その分野に関しては、あの人が詳しいとか、専門家じゃないかと。

          「なりたい自分になるための近道」

          というか、ツールという感じで、うまく活用してきた。

          そして、それを3年周期で繰り返して来たと思う。

 

— それは、いつ頃気がついたんですか?

齊藤: 2サイクルくらいしたところで、気がついた。       

          あとは、将来こういう風にしたいな、と思ったことを、

          そればっかり書いていたら、その仕事が来たり。

          独立して、2年目からブログ書き始めて、

          6年目くらいで、そのことがはっきりしてきた。

          ちょうど、世の中の流れと合致していた、というのもあるかな。

          最初は、在庫管理のこと、次は日本のSPAのこと。

          それで、そういうことに興味のある人が読んでくれ始めて。

          その後、外資のH&M、ZARAとか、

          ファストファッション系に移って。

          それで実際にお付き合いさせて頂きたいなと思っていた

          潜在クライアント企業さんの方からお声がかかって、

          ご契約させていただくことができたり、

          本を書くきっかけになったり。

 

— なんで、これが次に来るって、見つけられるんでしょうか?

齊藤: 一番は、新聞3紙読んでるから。       

          ネットだと、自分から見に行くでしょう?

          自分のペースで、見に行くというか。

          

— 今、購読者が減ってる状況ですけど。新聞なんですね。

齊藤: 新聞は、どんどん来ちゃう。

          読まないと、溜まっていっちゃうでしょ。

          この経験は、商社にいた頃から続けているんだけど。

          結局、商社時代に、よりリテール志向になったのも

          日経MJ、読んでいた影響もあったと思うし。

          小売にいた時も、切り抜いてコピーとって回覧したり。

          スクラップして、取引先の会話にも使ったり。

          それを独立してからは、社内でなくプログというツールを使って

          世の中の人たちと共有する、という形に切り替わっただけという。

          

— そういう感覚なんですね。

齊藤: 情報のシャワーを、無理やり浴びるというか、

          そういう環境に、自分を置いておくというか。

          それで、気になった記事を切り取って、

          それに、もう一言、じぶんにはこんな意見やコメントがあるぞ、

          っていうのと一緒に紹介する形で、ブログの記事にすると、

          同じように、記事に興味持っていた人が読んでくれたり、

          ブックマークつけてくれたり。

        

— ICとして、独立プロフェッショナルとして大事なことって何だとお考えですか?

齊藤: ICとして独立して仕事をする上で必要なことは、  

          じぶんから「専門家として語れ」、「名乗れ」と。

          初めは、誰も言ってくれないんだから、そんなこと。

          そう自ら名乗ることで、あの人はこの分野の専門家なんだと、

          認識してもらって、読者になってくれる。

          それが、パーソナルブランディングの基本であって、

          専門家になるということが大切。

          新聞が、まだ誰も気がついていないところで、

          先のキーワードを取り上げる。

          そのキーワードを、その後、複数紙で取り上げる。

          マスに降りてくるのは、たぶん3年後だから、

          それまでに、そのことについて、じぶんで色々調べて

          発信していくことで、その道の専門家になれる。

          

— 日々の積み重ねですね。

齊藤: これは、会社勤めしていても、同じことだから。

          ネットでニュースを読める時代だけど、

          絶対、偏りが出てきちゃうから。

          やっぱり、新聞広げて読むということで、

          キーワードが、向こうから飛び込んでくるというか。

          まあ、「アラートかけておく」みたいなイメージだけど。

          情報を強制的に受ける、ひとつのペースメーカーみたいに

          新聞を使うと、嫌が応でも、インプットができる。

          たくさんのシャワーを浴びていると、

          そこから、重要な情報を選ぶ術を身につけることができるんだよ。

続きを読む: 9.SNS全盛の時代に乗って

7.インディペンデント・コントラクターへの第一歩

7.インディペンデント・コントラクターへの第一歩

— 新聞記事といい、おじさんといい、すごい偶然のタイミングばかりですね。

齊藤: うん、そうですね。

          その日経MJの1面記事を見て、

          アメリカで出会ったおじさんを「ハッ」と思い出した。

          だから、すごくICの仕事ってイメージしやすかった。

          あとは、オーナー企業で働いた環境がすごく貴重で。

          今、オーナー企業とばかり仕事をしているんだけど、

          組織の中では、どう転んでも、創業者である

          「オーナーを超えること」ってできないんだよね。

          その会社の癖というか、そのカラーがあるし、

          会社は、オーナーのものだし。

          やっぱり会社を維持して大きくするには、清濁呑み込めて。

— きれいごとだけでは、やっていけないというイメージですか?

齊藤: そうですね。

          その辺も含めて、いろいろな人と付き合って、

          会社を経営していく必要性みたいな、

          実際に、とても近くで見ることができた。

          それで、そういうことを目にする度に、

          自分自身がたくさんの従業員を抱える経営者になるというより、

          そんなリーダーシップを持った経営トップの意を汲んで

          成長を手助けする仕事をする方が

          自分には向いているのではないかと思った。

          「最強のナンバー2になる」みたいなイメージで。

          しかもひとつの会社ではなく、多くの企業に貢献できれば……。

          「そんな独立のしかたもありかな」と。

— あのおじさんの「働き方」ですね。

齊藤: うん。それが、「ICとして独立する時」に考えたことかな。

          さっきのおじさんとの経験もあって、その形にしようかなと思って。

          それで、会社に告げたら、

          社長が「最初のクライアントになっていいか」ということで

          申し出てもらえて。

          他にも、挨拶に行った取引先で、興味持ってくれたところがあって。

          だから独立時の収入は、サラリーマン時代の6掛けだけど

          ビジネスは始めることができた。仕事が軌道に乗るまではと

          思って貯金もしていたけれど、大丈夫だった。

— 「どういう形でスタートするか」はとても重要ですね。

齊藤: 独立する時は、その前に勤めていた会社との

          関係性はとても大切。事業会社として独立する時も同じで、

          やっぱり、自分を必要としてもらえるかどうか。

          というか、意識してそういう仕事の仕方をすること。

          あとは、

          「その会社でしか通用しない仕事の仕方」はしないこと。

          他の会社でも通用する形を意識することが大切だよね。

— それって、一つの会社でしか働いたことがない人が聞くと、ちょっとピンとこないというか、どうすればいいか分からない部分だと思うのですが。

齊藤: そうかもしれない。

          でも、こういう意識を持つことはとても大切だと思う。

          どうしてそう思うようになったか考えてみると、

          ひとつには商社時代に、しかも若いうちに出向して、

          また戻って来る、という経験をしたことかな。

          自分の仕事を、後任に渡さなければいけないので、

          「仕事をマニュアル化する」という作業を、

          同期よりはたくさん経験した。

          これは大きかったと思う。

— 業務手順の整理とかですね。

齊藤: そうそう、仕事っていうのは、誰かに引き継ぐのかなって。

          異動があれば、その度に引き継ぎが発生する環境で。

          でも、ちゃんとできない人は、後任と仲悪くなったりして。

          でも、ぼくは感謝されるくらい、

          きちんと引き継ぎ書類を作ることを、心がけていたのね。

          そういう書類を何度も書いていたので、

          「誰でもできる仕事にしなければいけない」

          「自分じゃなくてもできる仕事にして行かなくてはいけない」

          っていう思いが強くあって。

— それって、今でこそ大切だと分かると思うのですが。自分しかできないこととして、「情報を囲い込むこと」で、社内での存在意義を高めようっていう考え方も結構ありましたよね。まだ、そういう空気がある時代だった気がしますが、それと全く逆の発想ですね。

齊藤: そうですね。

          なんか3年目で異動でしょう、5年目でまた戻ってきたりして。

          そうすることが必要だったし、

          そうすることで「次の新しい仕事に挑戦できる」というか、

          そっちの方が大きかったね。

          そうやって、引き継ぎをした相手に引き継ぎ書が、

          分かりやすいって言われると、すごく嬉しくなっちゃったりして。

          ITが、まだそこまで一般的ではない時だったので

          全部手書きで、集計表を使ったりして。

— ちょうどITが仕事でも欠かせなくなってきて、それまで情報通が社内で重宝されていたのが、だんだん変わっていく過渡期だったと思うのですが。その時点で、業務の効率化とか、一般化に気がついて、実践していたということなんですね。

齊藤: 単に飽きっぽくって。

          自分が、その仕事をできるようになっちゃうと、

          早く誰かに渡したくなっちゃうというか。

          その頃から、たぶん芽生えていたかなと思う。

          あとは、小売にいた時に身についたことなんだけど、

          何が正論かというと、オーナーとお客さんの考え。

          だから仕事が面倒臭いとか大変とかそういう現場の声も、

          「会社のトップだったら、こう判断するよね」

          「どうしたらお客様にとって最適になるだろうか?」

          という視点で話しが出来ると、

          みんな、文句の言いようがないというか、

          納得感があるというか、

          そういう視点を、持つことが出来るようになったことが

          大きかったね。


          *IC(インディペンデント・コントラクター)とは、

          サラリーマンでも、事業家でもなく、

          フリーエージェントである働き方。

          “期限付きで専門性の高い仕事”を請け負い、雇用契約ではなく

          業務単位の請負契約を“複数の企業”と結んで活動する

          “独立・自立した個人”のこと。

続きを読む: 7.インディペンデント・コントラクターへの第一歩

齊藤孝浩さんプロフィール

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Taka Saito

齊藤 孝浩(さいとう たかひろ)さん
有限会社ディマンドワークス代表
在庫コントロールを中心に急成長するアパレル企業の
コンサルティングを行う。
1965年、東京都出身。明治大学卒業後、総合商社、ベンチャー企業、
国内アパレルチェーンを経て、2004年に独立。
著書に『人気店はバーゲンセールに頼らない』(中公新書ラクレ)
『ユニクロ対ZARA』(日本経済新聞社)がある。
特定非営利活動法人インディペンデント・コントラクター協会 理事長

インタビューEpisode_1

<関連リンク>

有限会社ディマンドワークス

特定非営利活動法人インディペンデント・コントラクター協会

ファッション流通ブログde業界関心事

<著書>

人気店はバーゲンセールに頼らない』(中公新書ラクレ)

『ユニクロ対ZARA』(日本経済新聞社)

5.あこがれのリテール業、理想と現実

5.あこがれのリテール業、理想と現実

— 商社を辞めてから、見つけたんですね。

齊藤: まぁ、結果的にはね。

          無事に、アメリカで、1年間、働くってことが決まって。

          その時点では、やっぱり自分のプランとして

          「40歳で独立したい」と考えていて。

          しかも、それは事業会社を起こすことをイメージしてた。

  

— でも、すぐに独立はしなかったんですね。40歳までには、まだ時間もあったからですか?

齊藤: そうですね。

          1年経って、帰国することになって、

          アメリカで買い付けの手伝いしていた小売チェーンに入った。

          そこのオーナーでもある社長が、

          帰国するのを聞きつけて、電話を掛けてきてくれて。

          外資系の面接受けたりし始めていたけど、

          もともとリテール、小売業に身を投じようと思って行ったんだから、

          いいかなって、5年間って決めてやってみようと思って。

          社長にも、5年後には独立したいって告げて入社した。

  

          でも、そこからの5年間って、

          商社にいたとき以上に、忙しくなってしまって。

          小売は365日店頭が開いているので、

          本部にいても、お店が開いているのであれば、

          それを気遣うって、当たり前のことで。

          だから、本当に、休み無しで働いていたね。

 

— 商社時代もかなりハードでしたけど、みなさんもそういう感じで仕事している社風だったんですか?

齊藤: どうだろう。それなりに、休んでいたと思う。

          今の時代と違って、「絶対休み取りなさい」って

          強制されることもなかったけど、ぼくは中途入社だったので。

          結局、追いつくためには、みんなよりたくさん働かないとって、

          そう思っていたので。

          休みの日は、売り場に出たり、まだ、みんながあんまり

          見てなかったデータを使って、分析してみたりとか。

          そういう時間をたくさん取って、追い着こうとしてた。

          結果として、実績を出して成果を認められて、

          2ヶ月で、本部バイヤーに呼び寄せられて、

          本部のバイヤーとして仕事している間に、

          在庫コントロールに成功して。

 

— アメリカから戻ってきた時は、特別待遇ではなく、店舗からスタートしたんですか?

齊藤: そうですね。

          でも、まあ経験者としての採用だけど。

          まずは、店舗には立たないといけないって、

          そういうルールはあったかな。

          最終的には本部での仕事っていうのが、前提にはあったと思うけど。

          上手くいった在庫コントロールのプロジェクトを

          今度は、全社的に取り入れるために、専門の部署を立ち上げて。

          在庫が減って、粗利が増えて。

          それが、評価に繋がって商品部長、営業部長と昇進できて、

          最後は、役員まで。

          

— すごく理想的なキャリアですね。

齊藤: 本部での仕事に戻るんだろうと、思ってはいたけれど。

          でも、店舗で販売の仕事をしているときは、それが面白くて。

          毎日、お客さんにいろいろなもの買ってもらったり

          売り場の工夫したり。正直、呼び戻されたときは、

          「えっ、もう少し店舗にいたいな」って気持ちが強くって。

          でも、異動の時期で、このタイミングで戻ってきてって言われて。

   

— 好きなんですね。販売が。

齊藤: まあ、家が店だったし、自分でフリーマーケットやったりね。

          でも、まあ本部採用を前提とした中途採用だったので、

          「時期が来た」と思い本部に行きましたね。

 

— 憧れの小売業での仕事は順調に進んだんですか?

齊藤: いや、その後、営業部長をしていたとき、

          4人の部下、全員年上って形になって。

          2人が中途採用で、2人が生え抜きで。

          その中で、やり辛さを感じて、そこですごく苦労した。

          古参の方に、みんなやっぱり付いたりして。

          そのことが影響してうまく行かずに、それが原因で降格されたり。

          あのときは辛かったけど、今考えると仕方なかったというか、

          もっとうまく付き合えたかな、っていうのはある。

          会社を良くするために曲げたくないという話もあって、

          それが売り上げにも影響して。責任を取って降格となって。

          それが、挫折といえば挫折だったね。

 

— それは、今だから言えるけど、ショックな出来事として残っているんですか?

齊藤: そりゃあ、ショックでしょ、降格って。

          でも、いろいろな組織で働いていると、そういうことがあるし。

          会社のためにならなくても、個人のためになることって

          やっぱりあって。

          そういう政治みたいなことって、組織のなかにはあるんだなと。

          そういうことに対して、改めて認識できた経験というか。

 

— そういうことがあると、会社自体に対して、もういいやって、気持ちが出たりしませんか?

齊藤: それは無かった、別にモチベーションがあったので。

          その会社を「将来こうしたい」と、思っていたのと、

          部下で、応援してくれる人たちもいたので。

          この人たちの働く環境を改善できないかなとか、

          やるべきことはいろいろあったので。

          それもあったので、そこで仕事を続けていくことは

          平気だったというか、大丈夫だった。

 

          ところが、降格した立場ながら会社の業績を戻して、

          次の改革に取り組んでいた時にある人事異動があって。

          社長の指名によって抵抗勢力の古参のリーダー格が

          社長の指名によって、自分が改革を進めようとしていた

          店舗現場と自分の間に入ることになった。

          これまでの成り行きからすると、この体制では

          「自分がやろうとしていた改革が絶対に進まなくなる」

          と直観的に思った瞬間、

          何か張りつめていた糸がぷつんと切れた感じがした。

          常に走り続けて、いろんなことがあったけど、

          この会社で自分が貢献できると思うことは一通り形にして、

          引き継いでひとつの区切りができていたし。

          偶然かもしれないけど、

          その会社で働き始めて5年が経とうとしていた。

 

— ちょうど、5年と考えていたタイミングに合致したんですね。

齊藤: ふと振り返ると「40までに独立しよう」と

          そう思っていたことを、思い出した。

          5年経ったこともあったけど、

          「もう少し、家族との時間を持ちたいな」

          と、思い始めていた頃でもあって。

          それを誰にも言い出さずに考えていたら、

          「自分の専門性を活かして

          個人で独立して複数の企業と仕事をする働き方がある」

          というインディペンデントコントラクター(=独立業務請負人)協会

          (以下IC協会)の新聞記事が

          日経MJの1面に大きく掲載されていたんだよね。

          それを見た時に

          「こういう独立の仕方があるんだ」って初めて知った。  

          事業会社ではなく、

          個人でいろいろな会社をサポートする独立の形があることを。

 

 


          *IC(インディペンデント・コントラクター)とは、

          サラリーマンでも、事業家でもなく、

          フリーエージェントである働き方。

          “期限付きで専門性の高い仕事”を請け負い、雇用契約ではなく

          業務単位の請負契約を“複数の企業”と結んで活動する

          “独立・自立した個人”のこと。

続きを読む: 5.あこがれのリテール業、理想と現実

6.偶然出会った老紳士の”働き方”

6.偶然出会った老紳士の”働き方”

齊藤: インディペンデント・コントラクター(IC)といえば、

          アメリカで働いていた時のことなんだけど、

          「こういう働き方もあるのか」って、思った人が

          その会社に「たまたま来る」という経験もしていて。

— 偶然の出会いですか?

齊藤: 若手のベンチャー企業をサポートしている

          年配のおじさんたちがいて。

          それはどういう人たちかというと、

          比較的大企業で管理系の仕事をしてきた、

          役員とか経験した人たち。

          一方、ベンチャー企業って人のリソースが不足しているじゃない。

          だから、おじさんたちが、軌道に乗るまで経理担当するよ、

          カリフォルニア州の最低時給で仕事するよと。

          その代わり、ストックオプションちょうだい、

          っていう支援の仕方をしていて。

— へーっ、おもしろいですね。

齊藤: そう。で、その中のひとりで、

          経理部長を経験してきた人が、社長の知り合いにいて。

          本当に、たまたま僕のいた会社に遊びにきたの。

          社長が、「ちょっと忙しいから、その人のはなし相手してて」

          って、雑談していたら、そういう仕事だって聞いて。

          「へー、そういう働き方があるんだ」って。

          その人は、複数の企業を同じ形でサポートしていてね。

          最終的に応援した企業が大きくなったり、

          上場したらリターンがあるし。

          何より、自分の応援した企業が、成功する、育てるっていう。

          社会貢献にもなるし、お金と入る、リターンもくると。

— わぁ、なんかいいですね。

齊藤: 実をいうと、これから日本でもリタイアした人たちが

          インディペンデント・コントラクター(IC)として働き方を

          考えた時に、そういう形もあるのかなって思っている。

          なので、ICとして独立する時に、このおじさんのことを思い出した。

          すっかり、忘れていたんだけど、

          ICの「働き方」を考えた時に、思い出した。


          *IC(インディペンデント・コントラクター)とは、

          サラリーマンでも、事業家でもなく、

          フリーエージェントである働き方。

          “期限付きで専門性の高い仕事”を請け負い、雇用契約ではなく

          業務単位の請負契約を“複数の企業”と結んで活動する

          “独立・自立した個人”のこと。

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4.車内広告との出会い

4.車内広告との出会い

— 結構、思い立ったらパッと行動するタイプなんですね。

齊藤: まぁ、そうですね。

          あまり損得考えずに動くかもね。

          それよりも、先を見据えて行動するみたいな。

          それが、正しいかどうかは別として。

          あと、ストレートに行くわけではなく、

          方向性を変えたりもしているので。

          だけど、「先にある何か」を実現するために、

          「今、なにをするか」を考えて、行動するっていうのかな。

          で、アメリカで仕事をしたい、って思っていたところ、

          アメリカのビジネス交換プログラム

          があることを、偶然知って。

          定期的にテストをしているって、情報を得たんだよね。

          合格したら、アメリカで働くための

          ビザを発給してくれるプログラムで。

          今もあるのかな?

          インターナショナル・インターンシップ・プログラム

          を提供している組織だった。

  

— それって、どこで見つけたんですか?

齊藤: 電車の中の広告。

          それで、すぐ電車を降りて、電話して。

          「来週、試験と面接ありますよ」って言われた。

          急いで、資料取り寄せて、試験受けてって感じ。

   

— 見つけたのも、すごく偶然ですよね。電車の中って。

齊藤: そうだよね。

          で、ちょうどその試験が出張と重なってしまって。

          それで、当時の上司に、

          「ちょっと、こういうことを考えているので、出張にいけません」

          って話しをして。

          それが、「辞めます」っていう意思表示だったというか。

          でも、その時には、落ちるかも知れない状況だった。

          結果的には、無事に合格してビザの発給をしてもらう

          資格を得ることが出来たんだけど。

          で、その次。

          実は会社は辞めたんだけど、

          アメリカで働く先は、自分で探さないといけなくって。

          それを見つけるまで半年かかって。

  

— えっ?!仕事は日本で探したのですか?

齊藤: そう、日本で。

          全部、じぶんで調べた。

          アメリカから出張で来ていた人と面接受けたり、

          色々な人に、こういうことを考えていると話しをしたり。

          で、ある時、そういう人を受け入れてもいいよと、

          ある会社を紹介してもらって。

          それが、アメリカのサンディエゴにあった

          ファッション系輸出ベンチャーの会社だった。

  

— この会社は何を扱う会社だったのですか?

齊藤: MAGIC(全米最大のアパレル展示会)とか、

          ASR(アクション・スポーツ・リテイラー)とか、

          どちらもアメリカのラスベガスや西海岸で行われている国際的な

          アパレルおよびスポーツの見本市なんだけど。

          その展示会に、世界からバイヤーが買い付けにくるでしょう。

          そこで、バイヤーのアテンドをして、買い付けをサポートして。

          色々な会社に注文をして。

          最終的には、バイヤーが自分の国に輸入するんだけど、

          その買い付けと輸出を請け負っている、

          世界のファッションチェーンの買い付けをサポートする会社。

          シッパー(輸出業者)ともいうかな。

          そういう会社、今でもいっぱいあるけど。

          その中のひとつに入れてもらって。

          そこで1年間、日本人ひとりしかいない環境で働いた。

  

  

  

続きを読む: 4.車内広告との出会い

2.絶対、商社マンになる

2.絶対、商社マンになる

—  どんどん商社への夢が近づいてくる過程で、他に目がいったり迷いが出たりはしなかったんですか?

齊藤: うん、そうですね。

          逆にアルバイトでお金貯めて、3年生のときから海外旅行に

          いったりして。中国や香港にもいったね。

          あと、主にアメリカだけど、叔母の影響もあって、

          海外には、安くていいものが沢山ある。

          日本は、高いけどクオリティはあまりよくないって、

          そんな印象があって。

          安くて良いものをいっぱい輸入して

          「日本をもっと豊かにしたいな」って考え始めた。

 

—  海外へのあこがれから商社を目指して働きたい、そう思う動機がだんだん形になっていったんですね。

齊藤: それまでは、漠然と商社に憧れていたのが、もう少し絞られて

          「消費財がいいな」って。

          商社を目指す学生って、世界を舞台に大きな仕事がしたいって

          志望することが多いんだけど。

          ぼくは最初から消費財を扱いたいと思っていたので、

          結構珍しがられた。

          そんなことで、実際の就職活動では色々な業界は見たけど、

          きちんと受けたのは商社だけ。

          総合商社はほぼ全部、中堅も含めて商社だけ受けていた。

          しかも、「消費財を扱いたい」、

          「日本を豊かにしたい」っていう志望動機が珍しがられて。

 

—  商社志望だと、海外に行きたい、プラント建設とか大きな仕事で活躍したいって理由多かったですよね。

齊藤: そうそう。だから、面接でのウケはよかったよ。

          それで、運良く総合商社に内定もらって。

 

—  実際、商社志望で就職活動してみて、挫折感とか味合わなかったですか?競争率もすごいですし。

齊藤: うん、当時の就職活動って、今みたいにシステマティック

          でなくて、自分でOB見つけて電話かけまくって、

          60社くらい行ったかな。

          「昼飯おごってもらえる」っていうのもあったし。

          この時くらいしか色々な会社の社会人と話をできる機会は

          なかったので、必死で会ってくれる人を見つけた。

          ただ、挫折感というと正直、第一志望だった総合商社はダメだった。

          6人くらい次々にOBに会うことは出来たけど、本選考には入れず。

          もう一度、一般枠で受けたけど、

          その時点ではほとんど決まってた、っていうことで入れなかったね。

          だから、当初、総合商社の中で入りたいなって

          思っていた2社はダメで、

          最終選考までいったのは別の3社だったかな。

          で、ご縁があったのはトーメン(現 豊田通商)だったと。

          その総合商社は何年ぶりだったかな、

          10年ぶりくらいに2人明治大学から入ったという感じだったけど。

 

—  最終的には目標だった総合商社の内定を得て、入社することになった訳ですね。

齊藤: そうですね。それで、今度は消費財を扱う部署なんだけど。

          当時、その商社ではドラフト制度があって、

          「どこの部署で働きたいか」って

          内定をもらった学生がプレゼンするんだよね。

          そのドラフトで、食品・食糧・衣料を希望して、当時の衣料部の

          部長が目をつけてくれて衣料部に配属になったんだよね。

 

—  希望通り消費財を扱う部署に入ることができたんですね。

齊藤: そうそう。

          あと、これは就職活動とは別の経験だけど、

          大学3年生の時受けた授業で

          ”アントレプレナーシップ”

          起業家精神が経済を活性化させるという

          アメリカの事例を使って説明された授業があって。

          実は、それが学生の自分にとってはすごく刺激的で、

          印象に残っていて。

          だから、商社に入ってもそれがゴールではなくて

          「社長になる」とか

          「自分で独立して何かしてみたい」っていうのが、

          次の目的として出てきた時期でもあったかな。

 

—  ”アントレプレナーシップ”って、その頃は今ほど、言葉自体知られていない感じですよね。

齊藤: そうですね。

          でも、その時に、40歳で社長になるっていう目標を漠然と持って。

          今でも、当時の上司に会うと、

          「君は新入社員の時にトーメンの社長になる」と言ってたよなって。

          その時は、そう言ってたけど入ったら分かるでしょ、

          40歳で社長って無理だって。

          そのくらいの勢いで入社してきて、

          「不思議なことをいう奴だな」と思われていた。

 

          まあ、漠然と40歳で独立起業、

          あと、55歳でセミリタイアをするんだと、

          なんとなく考えていて。

          あと、もうひとつ。

          50歳くらいで自分の書いた本を出したいな

          っていうのもあって。

          そうやって「先のことを考えながら」

          「今なにをやるべきか決めている」

          このスタイルは小学校の時から続いていて、

          今に至っているのかな、っていうところですかね。

 

 

続きを読む: 2.絶対、商社マンになる

3.消費者の顔が見えない仕事

3.消費者の顔が見えない仕事

— 総合商社の頃は、時間に忙殺されていたというか、そんなこと考える余裕がなく日々が過ぎ去っていくみたいな。みんな過酷な環境に置かれていた気がするんですけど。

齊藤: あっ、そうですね。

          働いている間は、その通りでしたね。

          そんなの忘れてたというか、考える余裕はなかった。

          けど、入社当初はそんな思いを持っていたんだよね。

          実際に担当を持って、本格的に動き出すと、

          もう、それどころじゃない状況だったけど。

          だから、働き出した20代のころは忘れていたかな。

          それよりは、「目の前のこの仕事をどうしよう」と

          そういうことだけを考えていたかな。

        

— そうですよね。毎日がバタバタでしたよね。

齊藤: 確かに、そうでした。

          あと、もうひとつ。

          働き始めた20代のころの経験としては、

          「関連会社に出向させてもらった」

          ことが、自分にとって大きかったと思う。入社3年目4年目で。

          商社は川上だけど、川中っていうか、

          百貨店や専門店のスポーツショップに商品を卸す企業だったので。

          そこで、色々な会社から出向で来ている人と仕事をする経験をした。

          それが、他の世界を知るというか、

          今考えると、いい経験になったな、というのがありましたね。

        

— その後、最初に配属された本社の衣料部に戻られたんですよね。

齊藤: そう、それでその後、もとの部署に戻って。

          バブル崩壊の影響が襲ってきてた。

          国内生産から、アジアで安く、大量生産する形。

          海外生産にだんだん移ってきて。

          そこで、数を追っかける大量生産大量受注の取引先と

          付き合っているうちに、在庫のリスクの怖さに気がついた。

          発注するけど、なかなか引き取ってくれないリスク。

          最初のオーダーが10万枚とか、すごい数で。

          感覚が麻痺してきちゃったのかな。

          それに追われると、在庫をあまり見なかった。

          というか、気にする余裕もなかった。

        

— 当時、いろいろな取引先の在庫が社内でも問題になってきた時期ですよね。どの担当者もそんな感じでしたね。

齊藤: バブルの崩壊の前は、国内生産がメインだったし、

          安いものよりは、高くていいものを求める傾向が、

          どこのメーカーにもあったけど。

          バブル後は、値段が厳しくなる、品質も厳しくなる、

          引き取りも厳しくなる、というのをすごく実感して。

          デザイナーやマーチャンダイザー(MD)と言われる立場の人が、

          途中で仕様変更を繰り返すようになったりして。

          そうすると、品質不良のリスクも高まるわけで。

          そういう在庫や品質不良のことに追われているうちに、

          商品を最終的に良し悪しの判断して購入するのは、お客様なのに、

          そういう間にいる人たちが、色々こねくり回したりして。

          それって、

          「本当に最終ユーザーのこと考えてやっていることなのかな」

          って、疑問が湧き始めた。

          そういうことが多々起きるようになってきて、

          「こんな消費者から遠い所で仕事していたら、

          また在庫の山を作っちゃうのではないか」って、

          そんな思いがこみ上げてきて。

          「もっとリテール(小売)志向にならないといけないな」って。

        

— 消費者に近い所での仕事ということですか?

齊藤: そうですね。

          ちょうどその頃、社内でも

          リテール(小売)志向に目が向いてきたというか、

          店舗を持っている取引先と付き合うような動きがでてきて。

          勢いのあるところとやっている連中も出てきてたよね。

          で、僕らもそういう取引先を開拓したいなと思いはじめて、

          もうちょっとリテール(小売)志向な仕事をしたいと。

          そんな願望を持ちながら仕事をしていた時期だったかな。

          それが、「もっと前に出ていかなければいけないな」

          と思った転機というか、消費者に近いところで仕事がしたいなと、

          商社を出て行こうかなと考え始めたきっかけかな。

      

          あとは、これもちょっと無謀な考え方なんだけど。

          アメリカへ出張に行くと、感じていた想いがあって。

          アメリカのリテール(小売業)を実際に見たことによって、

          小学生の頃に感じていた

          「安くて良いものを日本に紹介したい」という想い。

          それが、ずっと心の奥にあって。

          まあ、誰にいってもバカだって言われたけど。

          総合商社を辞めて、

          「アメリカにいって仕事したい」という思いが出てきて

          10年目、32歳の時に、実行しちゃったんだよね。

 

— それは、次の目標が見えて行動したいって、気持ちが強くなったという感じですか?

齊藤: うん、そうですね。

          アメリカに行って小売の仕事をしてみたいという。

          今やっていることのけじめがついたら、

          辞めて、次に行こうという。  

 

— 小売と取引しようではなく、小売の世界に入ろうということなんですね。

齊藤: 結果的にはそうなったって感じだね。

          まあ、たぶん、実家がリテール(小売)をやっているって、

          そういうことが、関係していたのかもしれないけど。

 

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