5.あこがれのリテール業、理想と現実

5.あこがれのリテール業、理想と現実

— 商社を辞めてから、見つけたんですね。

齊藤: まぁ、結果的にはね。

          無事に、アメリカで、1年間、働くってことが決まって。

          その時点では、やっぱり自分のプランとして

          「40歳で独立したい」と考えていて。

          しかも、それは事業会社を起こすことをイメージしてた。

  

— でも、すぐに独立はしなかったんですね。40歳までには、まだ時間もあったからですか?

齊藤: そうですね。

          1年経って、帰国することになって、

          アメリカで買い付けの手伝いしていた小売チェーンに入った。

          そこのオーナーでもある社長が、

          帰国するのを聞きつけて、電話を掛けてきてくれて。

          外資系の面接受けたりし始めていたけど、

          もともとリテール、小売業に身を投じようと思って行ったんだから、

          いいかなって、5年間って決めてやってみようと思って。

          社長にも、5年後には独立したいって告げて入社した。

  

          でも、そこからの5年間って、

          商社にいたとき以上に、忙しくなってしまって。

          小売は365日店頭が開いているので、

          本部にいても、お店が開いているのであれば、

          それを気遣うって、当たり前のことで。

          だから、本当に、休み無しで働いていたね。

 

— 商社時代もかなりハードでしたけど、みなさんもそういう感じで仕事している社風だったんですか?

齊藤: どうだろう。それなりに、休んでいたと思う。

          今の時代と違って、「絶対休み取りなさい」って

          強制されることもなかったけど、ぼくは中途入社だったので。

          結局、追いつくためには、みんなよりたくさん働かないとって、

          そう思っていたので。

          休みの日は、売り場に出たり、まだ、みんながあんまり

          見てなかったデータを使って、分析してみたりとか。

          そういう時間をたくさん取って、追い着こうとしてた。

          結果として、実績を出して成果を認められて、

          2ヶ月で、本部バイヤーに呼び寄せられて、

          本部のバイヤーとして仕事している間に、

          在庫コントロールに成功して。

 

— アメリカから戻ってきた時は、特別待遇ではなく、店舗からスタートしたんですか?

齊藤: そうですね。

          でも、まあ経験者としての採用だけど。

          まずは、店舗には立たないといけないって、

          そういうルールはあったかな。

          最終的には本部での仕事っていうのが、前提にはあったと思うけど。

          上手くいった在庫コントロールのプロジェクトを

          今度は、全社的に取り入れるために、専門の部署を立ち上げて。

          在庫が減って、粗利が増えて。

          それが、評価に繋がって商品部長、営業部長と昇進できて、

          最後は、役員まで。

          

— すごく理想的なキャリアですね。

齊藤: 本部での仕事に戻るんだろうと、思ってはいたけれど。

          でも、店舗で販売の仕事をしているときは、それが面白くて。

          毎日、お客さんにいろいろなもの買ってもらったり

          売り場の工夫したり。正直、呼び戻されたときは、

          「えっ、もう少し店舗にいたいな」って気持ちが強くって。

          でも、異動の時期で、このタイミングで戻ってきてって言われて。

   

— 好きなんですね。販売が。

齊藤: まあ、家が店だったし、自分でフリーマーケットやったりね。

          でも、まあ本部採用を前提とした中途採用だったので、

          「時期が来た」と思い本部に行きましたね。

 

— 憧れの小売業での仕事は順調に進んだんですか?

齊藤: いや、その後、営業部長をしていたとき、

          4人の部下、全員年上って形になって。

          2人が中途採用で、2人が生え抜きで。

          その中で、やり辛さを感じて、そこですごく苦労した。

          古参の方に、みんなやっぱり付いたりして。

          そのことが影響してうまく行かずに、それが原因で降格されたり。

          あのときは辛かったけど、今考えると仕方なかったというか、

          もっとうまく付き合えたかな、っていうのはある。

          会社を良くするために曲げたくないという話もあって、

          それが売り上げにも影響して。責任を取って降格となって。

          それが、挫折といえば挫折だったね。

 

— それは、今だから言えるけど、ショックな出来事として残っているんですか?

齊藤: そりゃあ、ショックでしょ、降格って。

          でも、いろいろな組織で働いていると、そういうことがあるし。

          会社のためにならなくても、個人のためになることって

          やっぱりあって。

          そういう政治みたいなことって、組織のなかにはあるんだなと。

          そういうことに対して、改めて認識できた経験というか。

 

— そういうことがあると、会社自体に対して、もういいやって、気持ちが出たりしませんか?

齊藤: それは無かった、別にモチベーションがあったので。

          その会社を「将来こうしたい」と、思っていたのと、

          部下で、応援してくれる人たちもいたので。

          この人たちの働く環境を改善できないかなとか、

          やるべきことはいろいろあったので。

          それもあったので、そこで仕事を続けていくことは

          平気だったというか、大丈夫だった。

 

          ところが、降格した立場ながら会社の業績を戻して、

          次の改革に取り組んでいた時にある人事異動があって。

          社長の指名によって抵抗勢力の古参のリーダー格が

          社長の指名によって、自分が改革を進めようとしていた

          店舗現場と自分の間に入ることになった。

          これまでの成り行きからすると、この体制では

          「自分がやろうとしていた改革が絶対に進まなくなる」

          と直観的に思った瞬間、

          何か張りつめていた糸がぷつんと切れた感じがした。

          常に走り続けて、いろんなことがあったけど、

          この会社で自分が貢献できると思うことは一通り形にして、

          引き継いでひとつの区切りができていたし。

          偶然かもしれないけど、

          その会社で働き始めて5年が経とうとしていた。

 

— ちょうど、5年と考えていたタイミングに合致したんですね。

齊藤: ふと振り返ると「40までに独立しよう」と

          そう思っていたことを、思い出した。

          5年経ったこともあったけど、

          「もう少し、家族との時間を持ちたいな」

          と、思い始めていた頃でもあって。

          それを誰にも言い出さずに考えていたら、

          「自分の専門性を活かして

          個人で独立して複数の企業と仕事をする働き方がある」

          というインディペンデントコントラクター(=独立業務請負人)協会

          (以下IC協会)の新聞記事が

          日経MJの1面に大きく掲載されていたんだよね。

          それを見た時に

          「こういう独立の仕方があるんだ」って初めて知った。  

          事業会社ではなく、

          個人でいろいろな会社をサポートする独立の形があることを。

 

 


          *IC(インディペンデント・コントラクター)とは、

          サラリーマンでも、事業家でもなく、

          フリーエージェントである働き方。

          “期限付きで専門性の高い仕事”を請け負い、雇用契約ではなく

          業務単位の請負契約を“複数の企業”と結んで活動する

          “独立・自立した個人”のこと。

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