7.がむしゃらにやりきった先にみえる自分のバリュー

7. がむしゃらにやりきった先にみえる自分のバリュー

— 「ガチガチに準備をして」より「柔軟性を持って」の方がいいのでしょうか?

岩松:そうかもしれないですね、きっと。

         ガチガチにこだわりすぎたら変化できないし、

         世の中の変化やお客様のニーズに合わせて、

         変化させることのほうが大事なんじゃないかな。

         そうすることで見えるものも変わるし、出来ることも変わってくる。

         キャリアの話でいうと、Planned Happenstance

         くらいの感覚がいいと思っています。

         

— その考えかた、すごく好きなんです。

岩松:結局、一番最初は自宅で始めて

         「インディペンデント・コントラクター」でやっていましたけど、

         その後、オフィスを構えて社員を雇っているし、

         仕事の形態も業務委託だけでなく

         コンサルや顧問契約も増えていったし。

         最近では、採用と育成の領域だけと決めていたつもりが、

         以前一緒に仕事したことのある方から

         「うちの会社の人事評価制度を作って」と頼まれて、

         彼からの依頼だから久々に評価制度を作ろうかな?となって、

         いざ作ってみたら「たまに制度設計をやるのも悪くないな」

         って思ったり。

         

— キャリアの危機ってありましたか?

岩松:「キャリアの危機」は無かったと思います。

         経営企画の時は、

         キャリアの思春期というか暗黒期だったのでしょうけど、

         「危機」というのは無かったかな。

         

— そういう意味では、医学部を断念した時でしょうか?

岩松:そうなのかなぁ。

         きっと、端から見ると、そうなんでしょうね。

         自分ではなんとも思ってなかったから。

         思い返すと、なんだか苦しいな、しんどいな

         という時期はたくさんありましたけど、

         そのひとつ一つが今の自分を形成しているのだと思うし、

         だから、今振り返ったときに

         「危機だった」っていうのは無いですね。

         色々な仕事や環境に向き合って、

         悩んだり高揚したりして過ごして、

         本当にやりたいことが見えたのは、関連会社の立ち上げの時の経験。

         さらに言えば転職してからの3年の経験で、

         やっと道筋が出来た感じなので。

         とはいえ、これから先、将来は何をするかはわからない。

         「採用、育成まわりでやろうかな」

         っていうのはあまり変わらないかもしれないけど、

         その中身が変わるかもしれない。

         

— “採用”で一番楽しいって思うポイントは何ですか?

岩松:採用でお客様と決めていた

         目標がちゃんと達成できて、

         なおかつその会社の採用担当の力量があがったとか、

         採用の精度があがったとか。

         それで次の成長段階に繋がるような人材が採れた時が

         一番嬉しいですよ。

         2年3年、お付き合いして、

         そうやって採用した人たちが活躍しているのを見ると、

         楽しいですよね。

         お客様の成長や成功を一緒に体感できることが、

         この仕事の醍醐味でしょうね。

         

— “人との関わり”が好きなんですね?

岩松:最初も

         「人と繋がる、関わる事が好きなんですか?」

         って聞かれたけど、

         当時は全く、そんなこと無かったと思いますよ。

         独立してからですかね、だんだんそうなってきたのは。

         今は、そういうことを身軽にやるようになったし、

         やりたい人なんだと思います。

         

— 変わってきた、もしくは気がついた?

岩松:自分から“人と繋がる”という動きは、

         IC協会でも率先してやってきました。

         協会会員の皆さんといっぱい話すようにしたし、

         色々な人にも会うようにしました。

         あと、リクルート同期の幹事をやったり

         学生時代の友人とも積極的に再会して、

         そういうことが「好き」に変わってきたんだと思います。

         結果として、仕事に結びつくこともありますが、

         目先の損得を考えずに人的なネットワークを作ったり、

         維持するようになっています。

         

— ところで、キャリアでモヤモヤ感を抱える人とか多くないですか?

岩松:独立している人だとあまり見ないですが、

         20代~40代で企業勤めをしている方のなかには

         いるのかもしれませんね。

         きっと彼らは、モヤモヤする余裕があるんだと思います。

         悩む時間や悩む余裕がある。

         モヤモヤするぐらいなら、目先のことを思いきりやりきってみて、

         「やっぱり違うかな」って思ったら動けばいいし、

         そこまでやりきる前に悩んじゃうみたいな。

         それで、転職したり異動したら、

         あまりにも勝手に理想を描きすぎて「あれっ?」てなっちゃう。

         まあ、いつか道は開けるだろうくらいに、

         楽観的かつ一生懸命に仕事するほうが

         身につくスキルや知識が多かったりするし、

         それでも悩むぐらいなら、

         自分で身軽に動いてみたらいいんじゃないかなと思います。

         

— 最後に20代、30代に向けて、なにかメッセージいただけますか?

岩松:どんな経験も自分の身になるし、

         人生で無駄な経験はないから、

         どんなこともヘベレケになるまでやりきった方がいいと思う。

         勝手に自分で限界を決めるのではなく、

         最後までやってみる。

         やれるだけやってみて、そこでわかるものもあるし、

         見える視界も変わるかもしれない。

         それでも、新たなステージに踏み出したいと思った時は、

         勇気をもって、でも軽やかに一歩踏み出す。

         そうしたら視野が変わったり、感じることがあったりして、

         わかることもある。そんなふうに思いますね。

         あとは、30代になったら自分のバリューは何なのか、

         ちゃんと意識することも大切でしょうね。

         できれば2つ以上、

         言えるようにしたほうがいいと思います。

         2つ以上あれば、さらに価値は高まってくる。

         

— がむしゃらにやっているうちにそれが自分のバリューになりますよね。

岩松:そう。

         その前にいろいろ悩んで立ちどまってしまったり、

         投げ出したりしては、ダメでしょうね。

         バリューになるかどうか?

         そのバリューを身につけたいのか?

         なんて考えすぎずに、とにかくやってみると、

         自分なりのバリューが結果として形成されるんじゃないですか?

         IC協会では、独立の相談を受けることがよくあります。

         20代後半や30代の方であれば、

         語れる経験や提供できるバリューがあるのか?という話をします。

         それがあって独立したいなら、一度、踏み出してしまえばいい。

         逆に、40代後半以上の方には、万が一うまくいかなかった時に、

         戻れる先があるかを考えて、それでも大丈夫と思えば、

         独立されたらいいんじゃないですかって伝えるようにしています。

         ICとして独立するときには当然、

         お客様に提供できるバリューがないとダメだし、

         さらに言えば、お客様の状況、文化、体制、課題に応じて、

         そのバリューの発揮の仕方を適宜調整する能力が求められる。

         その点で言えば、

         クライアントの社員の方との関係構築力や対応力も

         大切になってくるのだと思います。

         

— 今日はいろんなお話が聞けて良かったです。ありがとうございました。

         

         

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岩松祥典さん プロフィール

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6.軽く決断して、最初の1歩は踏み出す

6. 軽く決断して、最初の1歩は踏み出す。

— そのときは、40代ですか?

岩松:41歳ですね。

         独立するにあたって、人を雇うというイメージは無かったので、

         ひとり起業、個人事業主でいこうと考えていました。

         ちょうど、リクルート時代の後輩の秋山進さんが、

         インディペンデント・コントラクター(以下、IC)

         という言葉を使っていたこともあり、

         ICって働き方は、なんか自分にしっくりくるなぁって思って。

         実は、リクルートや転職先のシステム会社にいた時、

         個人事業主の方をいっぱい見ているんです。

         制作編集や研修講師、

         ネットワークエンジニアとかプロジェクトマネージャーとか。

         こういう働き方が自分に合っているかもなって思って、

         ICとしてスタートしました。

         

— 個人事業主としてスタートしたんですね。

岩松:そうですね。

         そう決めた後に、例の丸山さんと話をしていたら、

         「そう言えばK.Tさんには挨拶されましたか?」って言われたんです。

         K.Tさんはリクルートで人事部長をされていた方で、

         すでにICとして独立されていました。

         そこで、

         「ご無沙汰しています。この度、独立することになりました」

         と、ご挨拶に伺いました。

         早速、独立して何をしようと思っているのかを話しました。

         そしたら、質問攻め(笑)。

         「人事コンサルって、領域が広すぎるけど、

         特にどんな領域の業務をするの?」

         「どれぐらいの規模のお客様が対象?」

         「企業属性でいうと?」

         「メインとするお客様の業種は?」

         「料金はどれぐらい?」などなど、

         そうやって質問されていくうちに、

         自分の独立後の生業イメージが固まった感じです。

         さらには、「なんとなくやりたいことはわかったけど、それって

         ◯◯と競合したとき、どんな差別化をするの?」って聞かれて。

         あまり考えなかったんでしょうね。

         答えに窮して、

         「ひとりでやっているので・・・、値段が安いことです!」

         って答えたら、

         「お前アホやな~。それは最後に言うことや!(笑)」

         って、笑われてしまいました。

         

— あら。

岩松:要するに、どんなお客様に対して、

         どのようなサービスで、どれくらいの予算で、

         競合との差別化はどうするのかって。

         「もっとちゃんと考えや、アホー!(笑)」

         って、笑いながら叱られて。

         さらに、「ところで、なんぼぐらい稼ごうと思っているの?」

         と聞かれた時、

         「生活できればいいかな」って答えたら、

         「生活できるっていくらぐらい?」

         「ちゃんと計算したん?」

         「住民税いくら?」「月々の水道光熱費は?」

         言葉に詰まってばかりでしたね。

         

— すごい質問攻めですね。

岩松:それで「ちなみに、いまの年収はいくら?」って聞かれて。

         「◯◯万円です」って答えたら、

         「じゃあ、その年収の倍を当面の稼ぐ目標にしたらいい」

         とアドバイスされました。

         サラリーマンは目に見えない部分で経費がかかっているんだから、

         それを含めて自分で稼ぐとなると倍が妥当だろうって。

         そして最後に、「名刺、ちょうだい」って言われて、

         勤め先の名刺を渡そうとしたら、

         「この名刺だと、年末に辞めたあと、連絡が取れへんやん!!」

         って、また怒られました。

         「どこかの商店街でいいので、

         個人の名刺をさっさと作りなさい」って(笑)。

         

— それで準備を始めたんですか?

岩松:自宅に戻って、屋号を考えて

         「オフィスRPIC」として、

         それから、独立後の“5つの誓い”、“4つの目標”を決めて、

         こういう形でやっていきますって、

         ご挨拶に行った日の夜に、お礼とともにメールを送りました。

         「なかなか、いいんちゃう!」って返信が来て、

         ちょっと独立後へのエネルギーが高まりました。

         「RPICの読み方を、アールピーアイシーにするか、

         アールピックにするかちょっと悩んでます。」

         とコメントを書いたら、

         「アールピックの方が可愛いし、覚えられやすいんちゃう!」

         ってアドバイスまでもらいました。

         きっと、あの挨拶訪問が無かったら、

         なんとなくの独立をしていて失敗していたんじゃないかなと、

         今でも思い出しますし、K.Tさんには本当に感謝しています。

         年明けから独立スタートなので、

         年賀状は普段よりたくさん送ろうって思って、

         挨拶状と名刺を同封した年賀封書を数多くの知人に送りました。

         それを見て、何人からか「会おう」

         「相談したいことがある」という連絡をもらいました。

         これが、立ち上げ時の話です。

         

— ガチガチに考えて準備をしてという形ではなかったんですね?

岩松:そうですね。

         当時、クライアントゼロ、見込み客ゼロで

         スタートしたぐらいですから(笑)。

         基本的に、僕の人生はそうなんだと思います。

         軽く決断して、最初の1歩は踏み出す。

         とはいえ、万難を排してというほどには、

         準備や覚悟をしてるわけではない(笑)。

         もちろん、決めた限りはやり切りますけど。

         

         

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5.自分が本当にやりたいことがわかるまで

5. 自分が本当にやりたいことがわかるまで

— ちょうど30代でいろいろ考える時期でもあったんですね。

岩松:そうですね、30代の半ばでしたね。

         このままリクルートの営業マネージャーでいて本当にいいのかな?

         と考えることもあったので、リクルートの後輩で、

         当時すでに独立して人材紹介会社をやっていた

         クライスアンドカンパニーの丸山貴宏さんのところ

         に遊びにいったんです。

         ちょっとだけ、そんな話題になったとき

         「岩松さん、転職するとして、何がやりたいんですか?」

         って聞かれて、

         「最近、マーケティングに興味がある」

         という話をしたんです。そしたら

         「マーケティングだと、もっと世の中に出来る人が

         たくさんいますから、岩松さんがやりたいって言っても、

         高い値段で売れないですよ」と言われました(笑)。

         「それに、くよくよ悩んでるときに転職しても、

         良いことは無いですよ」って。

         「まぁ、そうかもな。じゃあ、今のまま頑張ってみるか・・・」

         ぐらいに思いなおして、

         「目の前の仕事にちゃんと向き合おう」と思って、

         腹を括ったんです。

         

— リクルートでやっていこうって?

岩松:そう。

         その後は、関連会社に出向して営業マネージャーをやったり、

         4社統合後の新会社設立の仕事にも携わりました。

         新会社では、事業企画のマネージャーを

         担当させてもらったのですが、

         これがまた自分にとってのキャリアの節目でしたね。

         なぜ節目だったかと言うと、

         事業企画の仕事のひとつに、人事の仕事が含まれていたんです。

         新たな会社の人事評価制度を作る、

         中途採用をする、若手やマネージャーの育成体系を作る、

         もちろん人材配置の議論もする。

         あらためて、人事の仕事に触れる機会を持つことになったんです。

         そしたら「やっぱり、人事の仕事は面白いし、自分に合っているな」

         って、そこで思ったんですね。

         そんなタイミングで、以前ちょっと相談していた

         後輩の丸山さんから連絡がはいったんです。

         「岩松さん、元気に頑張ってるみたいじゃないですか?

         そろそろ転職することを視野に入れたらどうですか?

         会わせたい社長がいるんですけど。」って。

         

— すごいタイミングですね。

岩松:そうですね。

         「やっぱり人事の仕事を久しぶりにやってみて面白いと気付いた。

         採用とか人事周りをやるのが好きなんだ」っていう想いのときに、

         人事部長を探している社長を紹介してもらった。

         これも縁ですね。

         当時120名くらいの規模のシステム会社でした。

         上場が1年半後に控えていたので、ベンチャーっぽい勢いがあって、

         自分が入社した頃のリクルートに似てるかなと感じて、

         転職を決意したんです。

         

— 本当にタイミングがすごいですね、見てたみたい。

岩松:見てたかどうかは知らないけど、

         38歳の頃なので、次を考えやすいタイミングだろうと思って、

         声をかけてくれたんでしょうね。

         転職して何が大変だったかというと、周りは全員中途入社なので、

         育ってきた環境が違うから価値観が違うこと。

         それに、営業に初めて出た時と同じで、

         自分が出来ないことをやっている部下もいる訳です。

         例えば、給与計算とか契約書とか、IPOの書類作りとか。

         そこをどうやって関係作りをしていくのかが最初の難題でした。

         

— ところで、人事の方って、業種のこだわりはあまりないんですか?

岩松:ないんじゃないですかね。

         自分の価値が発揮できるかどうかで、

         業種や外資内資などにこだわる人はいると思いますけど。

         私は元々理系で、

         研究室でプログラミングをしていたことがあるので、

         IT系企業ということに抵抗は無かったですね。

         この会社には、約3年いました。

         ここで色々わかったこともあります。

         一口にベンチャーといっても、文化や社風は様々なんだと。

         経営者がトップダウン型の会社って、こんな感じなんだなとか、

         ときに清濁合わせ飲まないといけないとか。

         中途採用中心の人員構成なので、

         価値観やモチベーションの在り方が多様で、

         もろもろの調整業務も意外に大変なことが多かったですね。

         それに結構忙しくて、土日も仕事していました。

         特に、経営者から日曜日の夜にいつもメールが来るもので、

         月曜日までに対応しないと、その週の仕事に取りかかれない。

         めちゃくちゃ仕事していましたね。

         ここでは実務もたくさんやりました。

         そしてもうひとつ、その3年間でわかったことがあるんです。

         それは、「人事をやりたかった訳ではない」ということ。

         「採用と教育だけをやりたい」だって気付いたんです。

         

— さらにもっと特化した形でやりたいことが見えてきた?

岩松:そうですね。

         転職を考えた時に自分でキャリアは決めたつもりだったんですけど、

         3年経った時点でもう一段絞り込みをした感じですかね。

         そんな気がします。

         労務とか制度設計とかもしましたけど、

         これは本当にやりたいことではないみたいな感じですね。

         それで、この時に再度転職するかどうか考えました。

         「もっと採用育成中心で担当できる会社はないかな」って。

         でも、その時の年収で雇ってくれるところが

         あるだろうかって考えて、独立を視野に入れはじめました。

         それに、実は1社だけ面接に行ったんですけど、

         毎日のように中途面接をしていた自分が、

         なんで面接をされているんだろう?と不思議な気持ちになって、

         もっと言えば、面接を受けている自分に腹が立ってきて(笑)。

         それでまた、例の丸山さんに

         「ちょっと独立を考えてるんだけど」と相談したところ、

         「いいじゃないですか!」って言われました。

         「やりたいと思った時がやり時ですよ。

         もし独立が失敗しても、世の中、どんな仕事でもありますから」って

         背中を押してもらったんです。

         そういう意味で、彼は、僕のキャリア・トランジションの時期に

         必ず登場してくれているんですよ。

         

— なにか話をしてみようかなって思わせるんですか?

岩松:そうですね。

         ちなみに丸山さんは、

         のちにNPOインディペンデント・コントラクター協会を

         立ち上げた時の理事のひとりでもあるんですけどね。

         そうやって独立相談をした結果、

         「よし、採用育成の仕事でがんばっていこう」って決めたんです。

         

         

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4.営業デビューがマネージャーデビュー

4. 営業デビューがマネージャーデビュー

— それまでの有能感?

岩松:はい。

         ある意味、採用担当時代は成果も出していて、

         リーダーにも任命されて、鼻高々になっていたし、

         査定評価も高かった。

         結局、経営企画では使い物にならないと思われたんでしょうね、

         1年で異動。

         就職情報誌の事業部門の企画部署に異動になりました。

         ところが、あの経営企画で苦しんだ経験が活きたんでしょうね。

         経営企画の時に学んだこと、企画担当としての動き方が、

         実は身についていて、徐々に、昔の有能感、

         良い意味での自分を取り戻してうまくやることができました。

         あと、自分の得意なデータ分析の仕事も

         数多くあったことも大きかったですね。

         色々と企画業務をこなすうち、一年経って、マネージャーに昇格。

         しかし、企画部署でのマネージャーかと思ったら、

         北関東(大宮)での営業マネージャー。

         営業デビューがマネージャー昇格と同時、という人事発令でした。

         

— いきなり。どうだったんですか?

岩松:ドキドキですよ。

         営業したことのないのが、いきなりマネージャーで着任する

         のだから、営業メンバーはどんな気持ちなのだろうと思うと、

         本当に緊張感が高かったです。

         自分で売ったことないっていうのは

         信頼されないんだろうなぁと思って、赴任当初は、

         課長の名刺を持って飛び込みしたり、電話したりしましたよ。

         そうこうするうち、徐々に営業メンバーとの関係も

         築くことができるようになりました。

         

— その頃、部下の育成スタイルは変わっていたんですか?

岩松:押し付けスタイルは出来ないですからね、

         営業わかってないから。

         だからいわゆる主流のスタイル「どう思う?」の

         コミュニケーションスタイルが増えたと思います。

         ただ、数字には厳しかったですね。

         それに、ありがたい存在だったのは、H.T部長の存在。

         その上司は、私にとって今でも信頼できる上司の一人なんですけど、

         その方のスタイルがそういう形だったんです。

         彼の発する言葉、接し方、お客様とのやりとり、

         そういうのを見て数多くのことを学ばせてもらいました。

         なかなか追いつけない存在でしたけど。

         

— ロールモデルですか?

岩松:ロールモデルとして「あの人みたいになりたい」っていうよりも、

         「あの人のこの部分は見習いたい」みたいな感じですかね。

         いいとこ取りができる人がいっぱいいるみたいな環境でした。

         部下である営業メンバーにも、

         見習いたい部分をたくさん持っているメンバーもいましたしね。

         とはいえ、見習いたいと思う人は、

         どんどん変わっていくのかもしれないです。

         採用担当の時には、一番長く自分の上司だった人は、

         ひとつのロールモデルでもありました。

         妥協は許さないとか、結果を必ず出すみたいな、率先垂範だった。

         だから自分の率先垂範系の性格に

         グイグイ拍車が掛かったというのもありましたね。

         営業のときの部長は、メンバーをやる気にさせるのが

         すごく上手くて、特に言葉の使い方がすごく上手い。

         長々喋らない、一言だけいって、刺さるみたいな感じ。

         ちょうど、マネージャーとして1年経った時に

         掛けられた言葉は、今でも覚えています。

         2つの課を兼務することになってメンバーもお客様も倍になって、

         すごく忙しい気分になって動いていたときのこと。

         その部長に呼ばれて、

         「人は生ものだから、ほったらかすと腐るぞ」って言われました。

         シンプルだからこそ、刺さりましたね。

         こうやって言葉をかけるんだってことも学びましたね。

         

— 営業はやってみてどうだったんですか?

岩松:面白かったですよ。

         営業部署のマネジメントも面白かったし、

         自分でお客様を直接担当するのも面白かった。

         ただ、ずっと営業をやっていたいか、

         営業マネージャーをやっていたいかというと、

         正直そこまでの醍醐味はわかってなかったのかもしれません。

         北関東、品川、大田、渋谷と色々なエリアを担当させてもらって、

         地域ごとのお客様特性の違いもあって充実はしていました。

         

— 取り扱う商品はどんなものだったんですか?

岩松:営業で扱っていたのは、転職情報誌です。

         徐々に、新卒のリクナビとか教育研修なども扱う営業部署に

         変わっていきましたので、

         大きな意味で人材総合サービス系の営業ですね。

         自分の中では、担当エリアも変わったし、

         取り扱う商品サービスも変わったり、

         メンバーも変わったりしたので、

         営業を長くやった感は実はあまり無いんです。

         ほかには、プル型営業の仕組み作りにも関わったりもしましたね。

         

— その当時にもうプル型営業を始めていたんですか?

岩松:そうですね。

         営業担当が直接訪問して商談するのではなく、

         お客様データを様々な観点から分析して顧客特性ごとに分類して、

         FAXやコールセンターからのアウトバウンド販促で

         商談を作るという手法。元来データ分析が好きだったので、

         この仕組み作りに関わったことで、当時はキャリアでいうと、

         営業や営業マネージャーよりも、マーケティング的な業務も

         面白いのかもなって思い始めていた頃ですね。

         少し、これからのキャリアの方向性を考え始めた時期でした。

         

         

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岩松祥典さん プロフィール

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3.キャリアの節目は「暗黒期」

3. キャリアの節目は「暗黒期」

— ウィンドウズが出てくる前の話ですよね。

岩松:そうですね。

         そんな中、4年目の夏、つまり1988年、

         リクルート事件が起こりました。

         事件の渦中にあった通信コンピューター事業の部門内に

         人事を置く必要もないということになり、私たちは本社人事に

         戻されて、私は入社パンフレト作成やイベント運営、

         予実管理などの採用企画の仕事を担当しました。

         リクルート事件の起こった翌年の入社式では、マスコミ対応しながら

         武道館での入社式をやり遂げることも経験しました。

         その後、採用目標人数も減ることになり、人事部門が

         徐々に縮小されて人事採用から異動していくメンバーが

         増えていった時期でもありました。

         

— 社内の雰囲気はどんな感じだったんですか?

岩松:モチベーションが落ちることはなかったですよ。

         それは、採用担当だけでなく、

         世間の風当たりを直接受ける現場の営業メンバーも、

         そういう反響の大きさが逆に

         反骨のエネルギーになっていった感じでしたね。

         象徴的なことは、リクルート事件が報道され続けるなか、

         これまで面倒で着けていなかった社章をあえて着けるようになった

         社員が多かったことです。

         「自分たちは商売で何か悪いことをしているわけではない、

         誇りを持って仕事をしよう」って。

         会社の紙袋もロゴが見えるように意識的に持ち直したりして、

         逆に社員の結束は固まっていった感じだったと思います。

         

— 退社する方もいなかった?

岩松:ほとんどいなかったと思います。

         もともと辞める方が多い会社でしたけど、

         当時は逆に少なかったんじゃないでしょうか。

         事件が報道された年の内定者も、

         思ったほど辞退者は多くなかったですから。

         

— 転職していく人が多い会社のイメージですけど、繋がりは強いですよね。

岩松:会ったことなくても、

         何となく同じ釜の飯を食べた仲間みたいな

         感覚はあるのでしょうね。

         事件を経験した世代、しない世代に限らず、

         斜め横のコミュニケーションが活発な会社だったので、

         共通な知人も多く、横のネットワークも強い。

         共通言語も多いし、

         打てば響く間柄みたいなイメージですかね。

         それに、約束したことの行動が早く、言ったことはその日中に

         やってもらえるので、安心もできるのだと思います。

         

— 書籍の「リクルートの口ぐせ」の中にも、それは出ていましたね。

岩松:そうですね。

         その後の私のキャリアですが、5年目の秋に異動になりました。

         「今回異動させようと思うのだけど、お前はどこに行きたい」

         って上司に聞かれました。

         良い上司ですよね、希望を聞いてくれるなんて。

         その時、これまでずっと営業に行きたいと思っていたのに、

         ちょっと日和たんでしょうね、

         自分に営業はできるのかな、5年目で営業デビューって怖いな、

         という思いが過って「営業がいいなと思っていたんですけど、

         最近、経営企画部にも興味があるんです」って言ったんです。

         その一言が、キャリアの節目になりました。

         実は、この経営企画部に異動した時期が、

         自分にとっての「キャリアの暗黒期」。

         自分が採用した後輩たちが先に配属されていて、

         新人の時代から経営企画部にいたのですが、

         一緒に仕事をすると、みんな本当に優秀なんですよ。

         上司もすごく優秀だったし、

         自分の無能感に苛まれる日々がずっと続きました。

         

— 無能感?

岩松:「お前、採用でリーダーやってたんじゃないのか」って

         きっと、仕事の進め方、スピード感、優先順位づけ、

         勉強不足なことなど、何から何まで劣等生だったんでしょうね。

         それまでの採用担当の仕事は、毎年、採用目標を決めて

         数字管理して、欲しい学生を見つけては口説く。

         経営企画の仕事はもっと複雑だった。

         自分が担当する事業部門の状況がどうなっているのか?

         市場環境はどうなっているのか?

         新しい商品サービスが検討されているときに、

         客観的に見て、その商品サービスを始めるべきか否か?

         ダメだと思う場合、

         それを止めるためにどうやって経営会議にかけるのか?

         顧客企業が本当に求めているものは何なのか?

         など、もっと多様な視点が求められたんです。

         さらに言うと、

         担当業務に必要な知識を猛烈なスピードで習得したり、

         マーケット分析してデータを読み込んだり、

         とにかくビジネス書を読みまくることも求められる。

         例えば、打ち合わせでドラッカーの話が出て、

         「じゃあ、明日までに読んできて、

         それを元に明日打ち合わせしよう」となる。

         「この分厚い本をですか?」みたいな。

         自分は一晩では読めないし、覚えきれない。

         でも、自分が採用した後輩たちは

         パーフェクトに読んで理解してくるんですよ。

         「全然、俺ってダメだなぁ」って。

         このギアチェンジがなかなか出来なかったですね。

         

— 興味がわかなかったんですかね?

岩松:興味云々のレベルまで

         行ってなかったんだと思います。

         データを分析するのは楽しいから好きだったけど、

         この優秀なメンバーの中で大丈夫なのって、

         どんどん萎縮してしまってました。

         そんな感じで経営企画部の1年間は過ごしましたね。

         今でも覚えているのは、ちょうど「経営の3原則」という

         経営理念を作り変える仕事を担当したときのことです。

         この経営理念案を、社内の有識者に、事務局として

         意見ヒアリングに行ったんです。

         そこで、禅問答みたいなやりとりがいっぱい・・・。

         例えば、そのなかの一つの“新しい価値の創造”。

         「あなたが言ってる“新しい価値の創造”って、

         「新しい」と「価値」と「創造」って言葉の意味は一緒でしょ。

         なんで同じ言葉を3つ並べるの?」って言われて、

         まったく何も反論できなかった(笑)。

         とにかく、経営企画の時が、キャリアの節目でしたね。

         それまでの有能感が、もろくも崩れ去った時期です。

         

         

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岩松祥典さん プロフィール

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2.東京配属、しかも人事の採用担当!!

2.東京配属、しかも人事の採用担当!!

— 親世代からすると、「リクルートって?」って感じですかね。

岩松:当時はね。

         内定した時の前年まで

         「日本リクルートセンター」という社名でしたから、

         調査会社みたいなイメージですよね。

         領収書の会社名欄を「陸ルート」とか「ヤクルト」って

         書かれたって笑い話があったような時代です。

         そして配属先は、自分で勝手に

         大阪勤務の営業って思っていたんです。

         ところが、3月の中旬、人事から電話が掛かってきて

         「勤務地が決まりました、東京です」と内示がありました。

         ずっと実家から通っていたので、

         社会人で初めて一人暮らし始めることになったんです。

         まぁ、「東京の方がビジネスが大きそうだし」と頭を切り替えて、

         荷物を寮に送り込んで、4月1日の入社式を迎えました。

         入社式当日に配属発表だったのですが、

         “総務部人事課新卒採用担当”だった。

         「営業」じゃないんだな・・・、みたいな感想。

         それに、採用担当だとしても、関西なら色々な大学名を知ってる。

         でも、東京って「どんな大学があるのか?」って次元だったので

         「なんでわざわざ東京に来て、採用担当なの?」って、

         ちょっと戸惑いました。

         

— 戸惑いはしたけど、嫌だなっていうのは無かった?

岩松:嫌だって言えないでしょ(笑)。

         どちらかというと「なんでだろう」って印象かな。

         実際には、当時のリクルートの採用担当は

         営業っぽい側面も持っている部署で、

         内定承諾目標が担当別に割り振られて、

         個々人の達成度が目に見えるんです。

         なおかつ、5月までに何人とか、

         月間目標も決まっているような部署でした。

         

— 新入社員の採用で?

岩松:担当する学生が割り振られて、

         一人ずつ口説いていくという感じですね。

         同期で東京の採用担当が6人いたので、

         これがもうライバルですよね。

         関西の担当者たちとも競争だし。

         これって何か営業っぽいなと思って、

         だんだん楽しくなっていきました。

         さらに言うと、学生の本音を引き出すのって、

         営業のヒアリングに近いし。

         どのように会社を語るのか、自分を語るのか。

         さらには、人生決めさせるのも、

         営業での契約クロージングのテクニックに

         近いんだろうなと気付きましたね。

         

— 知らない人と話すことや、気づきを得ることが好きなんですか?

岩松:いえいえ、その逆!!

         高校時代はガリ勉だったし、

         大学では高校時代の仲間とばかり遊んでいた。

         サークルにも入ってないし、

         アルバイトは家庭教師や塾講師だったし。

         小さなコミュニティでしか過ごしていなかったので、

         友達はすごく少なかったですからね。

         採用の仕事は、初対面の人と話すことから始まるんですが、

         やっているうちにだんだん面白くなってきましたね。

         当時は関西弁、バリバリだったんですけど、

         東京の学生の中にはそれを嫌がる人もいることがわかったので、

         標準語で話してみたり。

         相手のタイプにあわせて打ち解け方を工夫したり、

         リクルートの魅力の伝え方を変えたりと、

         試行錯誤でやっていましたね。

         この時期は、採用のイロハを勉強させてもらったと思います。

         

— 採用のイロハとは?

岩松:例えば、学生を口説く時の「旬」の見極め方。

         早すぎてもダメ、遅すぎてもダメ。

         だから、志望が高まってきた時にちゃんと口説く、

         ちゃんと自分の言葉で語る。

         それで、承諾の握手をするんですけど、

         一晩寝ると学生の気持ちがまた揺れ戻すこともあります。

         だから、翌朝必ず電話することを欠かさずやっていました。

         そんな採用の基礎を学びましたね。

         当時、リクルートは情報誌のビジネスだけではなく

         通信コンピューターの事業を新しく始めた時期でした。

         そこで、理系学生をたくさん採用することになって、

         それなら理系出身の採用担当がやれということになり、

         私が2年目の4月、

         理系採用の専門部署が立ち上がって、

         そのリーダーとして4名の後輩がつきました。

         

— 仕事に後輩のマネジメントも入ってきたんですね。

岩松:2年目の4月でリーダーになったので、大変でした。

         まだまだ採用について勉強中の身なのに、

         新人4人の面倒をみながら、

         首都圏理系の採用目標100人を達成しなければならない。

         採用人数が未達だと新しい事業の根幹に関わるので、必死でした。

         当時はリーダーといっても、

         マネジメントなんて考えてもいなかった。

         「俺が言ったようにやれ」みたいな。

         2年目から4年目まで、その部署にいましたけど、

         すごい怖いリーダーだったと思います。

         「鬼」みたいだったかも(笑)。

         必達は当たり前。

         言ったことは必ず、すぐやらないとダメだし。

         今だったらパワハラで訴えられるぐらいの

         厳しいリーダーだったと思います。

         

— それはリクルートのリーダーのスタイルだったんですか?

岩松:いえいえ。

         リクルートのリーダーのスタイルは

         もっとコーチング的な感じですよ。

         「これどうしたらいいんですか?」って聞かれたら

         「君はどうしたらいいと思う?」みたいな、

         自分で考えさせる会話をする人が多かったですね。

         私はそれができなくて、「こうするんだ!こうやれ!」って。

         4年目のときには、その部署が全部で40人くらいになりました。

         新卒採用、中途採用、教育研修、

         総務イベントと諸々のチームが発足して、

         「組織が出来上がってくるってこういうことなんだな」

         というのを目の当たりに出来たのも、良い経験でした。

         

         

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岩松祥典さん プロフィール

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1.医学部志望からリクルートへ

1.医学部志望からリクルートへ

— 学生時代、就職はどんな風に考えていましたか?

岩松:まず話は遡るんですけど、自分で言うのも何ですが、 

         高校時代は「結構勉強のできる学生」だったんです。

         特に理数系が強くて、例えば、数学のテストを受けると、

         ほとんどの問題が簡単に解ける。

         偏差値90点代を取ったこともあるほどに(笑)。

         当時、進学校の理系クラスで成績がいいと、

         大学は「医学部に行く」というのが風潮だったので

         「医学部にいこうかな」と考えて、

         京都大学の医学部を目指していました。

         

— 高校時代は、医者を目指していたのですね。

岩松:ところが当時の共通一次試験、 

         今でいうセンター試験ですけど、緊張したんでしょうね。

         大失敗して、これじゃあ医学部受けようがないという

         点数を取ってしまいました。

         浪人しようかとも考えたんですけど、

         とりあえず京都大学の工学部を受験することにして、

         合格したんです。

         

— おっ、いきなり進路変更ですね。

岩松:はい。でもいざ合格すると、         

         「医者を目指してきたのに」、「やっぱり医学部がいいな」って

         考えなおしたんです。

         それで両親に直談判して、

         1年だけ浪人して医学部に再チャレンジしたいって話したら、

         「せっかく京大の工学部に合格したんだから、

         入学して籍は置いて、受験したら?」

         というアドバイスされて、1年間だけと約束して、

         大学には籍は置いて、

         医学部目指して受験勉強をしました。

         

— そういう形もあるんですね。

岩松:いわゆる仮面浪人ですね。         

         1年間一生懸命勉強して、医学部を受験したのですが、

         見事に不合格。

         親との約束もあるし、しょうがないなとあきらめて、

         休学していた精密工学科に戻って、

         2年生なのに1年生と同じ授業を受けるという形で

         大学生活をスタートさせました。

         ところが、医学部に行こうと目指していたのに挫折して、

         工学部に戻ったので、気力が失せたのか、

         ぽわぁ〜んとした形で大学時代を過ごしてしまいました。

         だから「学生時代、何をやっていましたか」って言われると、

         本当に何もやっていなくて。

         家庭教師のアルバイト、塾の講師。

         高校時代の友達とつるんで麻雀や飲み会。

         

— 工学部での授業や研究は、楽しいと思わなかったんですか?

岩松:楽しい楽しくないというより、 

         全然やらなかったですね。

         工学部と言っても必修科目が無い学科で、

         なるべく楽な科目ばかり受けていました。

         だから、リクルートに入社するとき成績証明書を出したら、

         「優」が一つも無くて、

         人事にびっくりされてしまいました(苦笑)。

         

— ゼミとか研究室にも入らなかったんですか?

岩松:4年生になってからは 

         研究室配属になるので、ちょっとは行きましたけどね。

         それまでは、大学には週に一度、

         体育の授業だけ行くみたいな感じ、そんないい加減な学生でした。

         試験の前になると、友達にご飯おごって

         ノートを借りてという、そんな日々でしたね。

         遊びまくって、完全に頭が弛緩してた時代です。

         

— 高校時代と差が大きいですね。

岩松:そう。みんなからは         

         「あいつ京大まで来て何してるんだろうね」って

         言われることもありました。

         ただ、家庭教師や塾講師のアルバイトは相当にやりましたよ。

         だから、当時は結構稼ぎが良かったですね。

         あるとき、「これって1対1で教える形式だと、

         自分が遊ぶ時間が減ってしまう」

         と考えて、友達と相談して塾をつくることにしました。

         北田辺という駅で、

         「北田辺進学セミナー」という名前の

         中学・高校生向けの塾を作ったんです。

         

— 大学生のときにですか?

岩松:家庭教師していた生徒にも         

         自分の塾に移ってもらって。

         それだけじゃ生徒数が足りないので近所でビラくばったり、

         父兄の振りして父兄相談会の日程調べて、

         当日校門の前で勧誘したり、

         「進路面談で、なんて言われました?」なんて父兄に話しかけて。

         近くの美容室にお願いしてビラ置いて

         生徒を紹介してもらったりして、

         そんなことしているうちに、塾の経営もまずまず軌道に乗りました。

         だから、大学時代は遊びまくって勉強はしなかったけど、

         塾経営から商売の真似事みたいなものに

         目覚めた時期でしたね。

         

— そこからリクルートへ?

岩松:まだ続きがあるんですよ。         

         高校時代までは「優秀だ」って言われて、

         「医学部行かずに、もったいないな」

         なんて言われていたんですけど、

         大学に行ってからは「あいつ何しに来てんねん」って

         バカにされてる感じで。

         自分の中で、「このままではいかんな」と感じていました。

         「誰よりも勝ちたいし」、「力をつけたいな」と。

         「岩松は凄いな」って

         言われたいという思いがフツフツと湧いてきて、

         自分を鍛えられる会社に行きたいなって思いが出てきたんですね。

         目覚めた時期でしたね。

         

— 「鍛えられる会社」ですね。

岩松:あともう一つは、         

         商売というものに興味が出てきていたんですね。

         理系の道で大学院とかに行くよりは、

         文転して就職したいなと漠然と思っていました。

         別に業界研究していた訳ではないけれど、

         銀行とか商社とかに行って、

         思いっきり大きな仕事をしたいなと

         考えるようになっていました。

         そんな時、リクルートで単発の

         アルバイトをする機会があったんです。

         2時間で3,000円という好条件の就職モニターアンケート。

         就職活動前の学生が何を考えているのか、

         インタビューを受けるという内容でした。

         そこですっかり気に入られて、何回も呼ばれました。

         モニターのバイトに何回か通ううちに、

         先方から「お前、リクルートに来ない?」と誘われました。

         最初は興味がなかったのですが、色々と話をしていくうちに、

         「こういう人たちと仕事ができたら面白いだろうな」

         「営業の仕事をすれば商売の基本が身につくだろうな」

         と思い始めたんです。

         さらに言うと、

         話をしてくれていた人たちは2年~5年目の人たちなのに、

         若いうちからこんなに仕事を任されるんだと思うと同時に、

         彼らの「出来るオーラ」が凄いなと感じてました。

         こんな中に飛び込めば、

         自分を成長させる環境が絶対あるだろうと思って、

         結局、就職活動は1社もせずに、リクルートに決めました。

         

— そうなんですね。

岩松:だからリクルートスーツを買ったのは内定式の前。         

         会社説明会やOB訪問に一社もいってないんです。

         「わかりました、お世話になります」っていった後、

         私服で当時の人事部長に面接してもらって

         「よろしくお願いします」みたいな(笑)。

         

— あまり他を見ないんですね。これと決めると突き進むみたいな。

岩松:決断力があると言ってほしい(笑)。         

         でも、当時はもう一つ選択肢があって、

         それは塾をそのまま続けること。

         そこそこ経営は上手くいってたんですが、

         学生時代の延長のような気がして、

         まずは就職しようと思ったんです。

         幸い、一緒にやっている友達が医学部だったので、

         彼が続けることにして、

         自分は「就職するわ」って決めて。

         その友達には就職祝いで

         アルマーニのネクタイを買ってもらいましたよ。

         羽振りが良かったんでしょうね。

         

— それで、リクルート?

岩松:そうですね。         

         でも、具体的に「この事業をやりたい」

         みたいなことは全くなかったですね。

         こんな人たちと仕事したいとか、

         営業をやってみたいとか、

         どのように働きたいかっていうのはありましたけど。

         そして、20代、30代は

         ガムシャラに仕事したいなって思っていました。

         リクルートに決めた時も、なんの事業をしているのか、

         全くわかってなかったですね。

         当時はリクルートブックっていうのが

         就活生に送られてきたので、

         こういう情報を扱う会社なのかなみたいな。

         

— 意外な感じです。色々調べて、これだって決めて活動したのかと。

岩松:当時から思っていましたけど、         

         「就職なんて縁のもの」だし、

         そこまで来て欲しいと言ってくれるのなら

         飛び込んでしまおうと決めたんです。

         それに、自分を鍛えられそうだし、

         誰よりも成長できる気がしたから。

         一番大変だったのは、うちの両親。

         特に母親は、もともと教育熱心なタイプだったので、

         「大学は絶対、京大に行って欲しい」って言われ続けて。

         だから京大の医学部を目指していたんですけどね。

         それで、工学部に入学したら、

         理系だから大学院にいくべきだとか、

         文転するんだったら

         「銀行に行くんやろうね」「総合商社に行くんやろう」

         みたいな感じでした。

         いかにリクルートが面白い会社かということを理解してもらうため、

         当時出ていた書籍やパンフレットを

         こっそり食卓のテーブルの上に置くなど、色々画策しました。

         それを母親が読んでいるうちに、

         「この会社、あんたに合ってるんちゃう」って

         やっと承諾を取り付けたんですね。

         ここが一番大変だったかな。

         

         

         

つづきはこちら→episode2

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岩松祥典さん プロフィール

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7.揺らぎすぎないで10年先の姿を想像する

7.揺らぎすぎないで10年先の姿を想像する

池照:大学院に入学した頃は、 

         独立するなんて、予定はしていませんでした。

         これまでと変わらず、ビジネスの現場で

         バリバリに働いて行くと思っていました。

         独立の「ど」の字もなかったので、

         周りのみんなは、逆にびっくりしたんじゃないかな?

         

— でも、その形にしてみようって、ひらめいたんですよね?

池照:一番やりたかったのは、 

         子どもと一番一緒にいたい時期に

         子育ての時間を確保すること。

         そして、人事という軸で仕事を続けること。

         はっきりいうと、ICは3年くらいで辞めて

         また組織に戻るのかなと、自分では思っていました。

         

— 法人化の準備は、すぐに進めたのですか?

池照:はい。 

         それは最初にクライアントになってくださる企業にとって、

         個人事業よりも法人化した方が良いと分かっていたからです。

         それから、会社を作ること自体はそんなに難しいことではないと。

         それは、大学院に行って知ったことなんです。

         「独立自体はそんなに難しいことではなく、

         問題はそれを継続させていくことだ」って。

         

— すでに10年。この働き方が向いていたということでしょうか?

池照:「向いている」と 

         思ったことはあまりないです。

         でも「自分の目的を果たす働き方のひとつ」

         であったことは確かです。

         「子育ての時間確保」と

         「できるだけ経営に近いところで人事の仕事をする」

         この2つを実現させていますから。

         この働き方を選んで、

         仕事(ワーク)と生活(ライフ)をバランスさせるよりも、

         「ブレンドさせていく」という考えになりました。

         

— 「ブレンドさせていく」ですか?

池照:具体的には、 

         「どう生きたいかから、どう働きたいかを選択する」

         という視点です。

         この10年の私の「生き方」の目的に、

         IC問う働き方は合致しています。

         そう言う意味では「向いています」ね。

         もし次の10年の目的が別であれば、

         働き方や仕事との関わり方を変えていけば良いと思っています。

         ICかもしれないし、組織に戻る形かもしれない、

         正社員、パート、生き方を考える上で

         一番良いものをその時に選べるようにする。

         こんな働き方が日本で選べることが大事なんだと、思っています。

         もう一つ、向いているかどうかは

         あまり考えたことはありませんでしたが、

         私は「仕事を楽しむ」達人なんです。

         少なくとも、そう信じ込んでいます。

         特に、どんな仕事でも

         自分で選択したのであればなおさらです。

         

— 両立のコツというか、ヒントはありますか?

池照:子供を授かってから、

         私は仕事への考え方が、大きく変わりました。

         人生の役割を考えるようになったんです。

         子供に恵まれた時期が、

         ちょうど仕事を始めてから10年ちょっとたった頃。

         では、私を必要としてくれている家族が増えてからの10年、

         そして20年はどうやって生きていくんだろうと。

         その視点で、ゆるやかに

         10年毎の自分のステージをを考えてみたんです。

         子どもに恵まれた最初の10年は、

         仕事の時間よりも

         「自分が大事だと思う時間に優先順位を置こう」ってことです。

         

         私の場合は、人生を4つのパートに区切り、

         それぞれにどのくらいの時間とエネルギーの配分をするかを

         考えてみることからスタートしました。

         4つは、仕事、社会活動、自分、家族&友人なのですが、

         これで区切って考えてみると

         子どもが家族に入ってからの10年は、

         家族&友人の部分が増えて、

         仕事の部分を少しセーブ気味にするっていう

         配分が分かってきました。

         つまり、どう生きたいか、何がしたいかを考えてから、

         どう働くか、どう時間を使うか、を考えたということです。

         そうしたら、ICという働き方に出会った。

         

— やりたいことより、雇用形態での選択が中心になる人も多いですよね?

池照:いろいろな考え方があると思いますが、

         正社員、パート、IC、などは、あくまで「働き方」の多様性であって

         「やりたいこと」を実現するためや、生活のための

         手段だと思っています。

         ただ、子育てなどの時間的な制約がある場合は、

         「やりたいこと」だけのために

         働き方を選択できないこともあります。

         時間や場所などの物理的な問題を解決するためには

         「働き方」を変えざるを得ない場合もある。

         そんなバランスと、どのくらいの時間枠で

         それらをコントロールしていくのかを、

         ゆるくでもいいので、自分で考えたり、

         描いたりする時間は、必要かと思います。

         

— その考え方を身につけることが大事?

池照:そうですね。

         私はこの4つのパートに区切る方法を

         定期的に自分の生活に取り入れていますが、

         年に1度でもいいのだと思います。

         例えば、子どもが10歳になるまで、

         家で一緒に過ごす時間を最優先にしたいと考えるのであれば、

         労働時間が短くなる。

         平日は仕事をバリバリして、

         子育ての部分は信頼できる方にある程度お任せして、

         でも、週末はべったりと過ごす。

         それを、じぶんで選べればいいのだと思います。

         年に1度でも、

         「これから10年はどうしようかな。10年後、この子は〇年生だな、

         どんなことに夢中になっているかな」って考えてみる。

         そうすると、せいぜい子供とべったり過ごせるのは、

         子どもがうまれてから最初の10年に

         凝縮されていることが分かります。

         次の10年は、すこしずつ親離れ、

         子離れしなければならない時期になるので。

         こういったことを時々思い出すだけでも、全然違うと思うんです。

         

— 先のことに目を向ける余裕と機会がないのかもしれないですね。

池照:確かにそうですよね。

         実際には、この10年後の事を考えたら、

         仕事をセーブするのであまり仕事に熱が入らなくて、、、、

         なんて考えの方もいらっしゃいます。

         ただ、私は逆にこれを

         その先の10年に活かす形で使ってほしい。

         だから、例えば仕事の時間を少し減らす選択をしたら、

         その減らした時間で、

         どうやって先の10年を見据えて

         自分に対してゆるやかな投資ができるかを考えてみる。

         「あ、3年後に子どもが小学生になったら、

         夕方には家に帰ってくる生活にした方がいいな」とか。

         実際に、私はそう考えて息子が小学校に上がる前に

         大学院を修了することを計画に入れました。

         ですが、何も大学院に行くことだけではないと思います。

         私のキャリア講座でこの方法を習得された方は、

         時間がなくても

         「月に1回は自分が目指す仕事についている人に話を聞きに行く」や

         「10年後に目指す仕事関係の本を月に1冊読む」

         などからスタートし、

         実際にご自身で描かれたキャリアを歩んでいる人もいます。

         やるか、やらないかだけかなと。

         あとは、個人の選択ですね。

         

— 見えている「選択肢」がすごく狭いのかも知れないですね。

池照:そうなのかも知れないですね。

         でも、かちっと決める必要もないし。

         おそらく働き続けているだろうなとか、

         こどもが大学生になっている頃だから、

         じぶんの時間がずいぶん持てる。

         友達と旅行にも行きたい、でも費用は旦那に頼りたくないなとか。

         その頃には親も年取っているので、

         土日に少しみてあげる時間も取りたいなとか。

         そういうイメージは、誰でも出来ると思うんです。

         それに向かって、

         「じゃあ、今なにをしたらいいのか」を考えてみる。

         現時点では仕事の時間がさけないなら

         パートとして関わることも、

         目的を達成するための一つの方法ですし。

         

 

— 雇用形態ではなく仕事の中身で、という感じですか?

池照:「仕事の内容」と「働き方」は

         少し分けて考えてもいいということです。

         これからの時代、

         「正社員でないとできない仕事」がもちろん残りますが、

         「正社員じゃないからこそできる仕事」もあります。

         そこをどう見極めるか。

         それから、会社や誰かが

         その働き方を提示してくれるのを待つことなく、

         自分で提案していけばいいのだと思いますね。

         最初はいろいろ言われますが。。。

         わたしも契約社員になったりした時に、

         色々、言うひとはいたんです。

         「契約社員のくせに、こんな仕事して」とか。

         そういう事を言うひとって、いっぱいいるんですよ。

         そういうひとは絶対いる中で、

         「ひとの話にあまり揺らがない自分」を

         作って行かなきゃいけないなって。

         

— そういう経験もされてきたんですね。

池照:なにか言われた時に、

         それに一々反応していたら、

         やりたいことは「出来なくなる」と思うんです。

         

— 周囲に敏感になりすぎてしまうのでしょうか?

池照:そうですね。私達、真面目ですから。

         そういうのは、それこそ、この仕事を始めて

         EQ(感情知性)みたいなことを知ってから、

         「あぁそうか、揺らぎすぎるっていう傾向は女性に多んだな」って

         いうことを感じています。

         今、女性リーダーの方たちに色々提供しながら、

         「揺らがない自分をどうやって作っていくか」っていうことを、

         一緒に考えたりしているんです。

         そこに気づくだけでも全然違うと思いますよね。

         「反応するな」とは、言わないんですよ。

         バランスも必要なんですけど、揺らぎ過ぎていて、

         本来やりたかったことを見失っては、もったいないです。

         10年単位で考えても、時間は限られていることが分かります。

         自分の人生ですもんね。

         

— いろいろなお話しを聞けて楽しかったです。ありがとうございました。

         

         

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池照佳代さん プロフィール

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岩松祥典さんプロフィール 

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岩松祥典(いわまつ よしのり)さん

株式会社アールピック 代表取締役  

1961年、大阪市生まれ。京都大学工学部卒。
1985年、株式会社リクルートに新卒入社。
同社の新卒採用担当として、約5年従事。その後、経営企画、就職情報メディア企画を経て、人材総合サービス部門の営業マネジャー、関連会社の立ち上げ(事業企画マネジャーとして人事全般を担当)を歴任。
2000年1月リクルートを退職後、当時上場前のITベンチャー企業に人事総務責任者として転職入社して、中途採用、新卒採用、人事制度策定を実施。
2003年1月独立。現在、中堅中小企業を中心に、人材採用・育成の人材開発支援を行なっている。
ほかに、NPO法人インディペンデント・コントラクター協会事務局長も務める。

<著書>
「採用力を確実にあげる面接の強化書」(2008年1月翔泳社刊)

ホームページはこちら
株式会社アールピック ホームページ

エピソード一覧
1.医学部志望からリクルートへ
2.東京配属、しかも人事の採用担当!!
3.キャリアの節目は「暗黒期」
4.営業デビューがマネージャーデビュー
5.自分が本当にやりたいことがわかるまで
6.軽く決断して、最初の1歩は踏み出す
7.がむしゃらにやりきった先にみえる自分のバリュー

 

6.制約があったから思いついた働き方

6.制約があったから思いついた働き方

— 働き方を工夫しながら、仕事を継続したのですね。

池照:そうですね。 

         最後の方は部署が変わって、複数の社内プロジェクトを

         常にこなす部署に異動になりました。

         ここでの仕事は、本当にすべてプロジェクトベースで

         進んでいくみたいな形だったんです。

         今考えてみると、

         それがICの仕事を考える上で良いヒントになったような気がします。

         

— その後、転職を決めた?

池照:はい。 

         以前の会社の先輩に声を掛けていただき、

         日本ポールに移りました。それが2004年です。

         その時も、週に4日ということで契約にしてもらっています。

         

— そこでも申し入れしたんですね、働き方を。

池照:そうですね。 

         ちょうど子供が2歳から3歳頃だったので、

         子供といる時間をできるだけ増やしたいなと思って、

         契約という形にしていただきました。

         あと、具体的には考えていなかったんですけど、

         「何か始めたいな」って思い始めていて。

         その「何か」を考えるにしても、

         インプットの時間があまりにもなかったんです。

         「母親をやりながら仕事をする」って、

         けっこう分刻みなスケジュールで、

         インプットしているっていう感覚が全くないんです。

         週に4日の形で、そこで働く間にいろいろ考え、

         大学院に行くことを決めて、

         法政大学大学院のイノベーションマネージメントで

         経営学の勉強をすることにしました。

         

— 日中、1年コースの社会人大学院ですよね。

池照:そうです。 

         この話は内閣府の有識者会議に参加した時に

         プレゼンで発表したのですが、

         法政大学に決めたのは、明確な理由があるんです。

         当時、東京の”ど真ん中”に住んでいながら、

         夜の授業を取らずに修了できる社会人対象のMBA大学院、

         つまり、保育園のお迎えに間に合う学校は

         そこしか見つけられませんでした。

         結果的には素晴らしい先生方、カリキュラムに恵まれましたが。

         

— 確かに、夜と土日すべて学校に費やすことになるので、厳しいですよね。

池照:そうなんですよね。 

         大学院に行ったのは、フォード時代の元上司が

         わたしのメンターみたいな形で、時々お話を聴いてくださるのですが

         彼のアドバイスがきっかけです。

         「池照は人事のセンスはすごくあって、仕事もやれているんだけど、

         経営の勉強をどこかでした方がいいよ」と、言われて。

         「経営の勉強?」と。

         確かに、いわゆる本部長クラス以上の方々について

         その部門の採用から人員の配置や開発まで

         一連をパートナーとしてサポートする仕事なのですが、

         最終的には「経営」の話になってくる。

         その時に、きちんと彼ら視点で、もしくは先を見据えながら

         仕事ができることは大切かな、とは思っていました。

         

         もうひとつ、大学院で学ぶなら

         息子が保育園にいる時期の方がよいと考えていました。

         小学校にあがれば、彼の活動範囲も広がり、

         時間が取りづらくなることは

         周囲のママ友の情報からも分かっていましたから。

         そう考えたら、「今しかない!」

         って飛び込みました。

         主人も忙しかったので、

         あまり相談もせずに試験も受けて、

         「受かったし、春から大学院にいく」と伝えたら、

         ちょっとびっくりしていましたが

         反対もせずに、応援してくれました。

         

— 入ってみてどうでしたか?

池照:私が通ったコースは 

         通常のMBAの過程に加えて、少し特徴のあるコースでした。

         ビジネスプランを自ら構築し、

         その計画と実践への道筋について、

         実際にキャピタリストや経営者の前で

         プレゼンテーションの機会があるんです。

         さらに、自ら立あげたビジネスについて、

         それを修士論文のテーマにするというものです。

         私には比較対象はありませんでしたが、

         アカデミックよりも実際のビジネスを基軸に

         授業や研究テーマが進められたため、実践的でした。

         教授やアドバイザーとしてつく方々もビジネス経験がある、

         または、ビジネスをしながら関わられる方が

         多くいらっしゃいました。

         「ビジネスを立ち上げる」

         なんて考えたこともなかった私にとっては、

         頭の中がひっくり返るような感覚。

         そして、全然ビジネスマインドがない

         自分にも出会うことができた刺激的な1年でした。

         外部のアドバイザーは実際の経営者ばかり、

         その方々の前で自分のビジネスについて

         プレゼンテーションをするのですが、

         「こんなのビジネスになっていない」って

         ケチョンケチョンに言われるんですよ。

         それまで会社員として評価もされ、

         結構認められてるって思っていたし。

         それなりに順当に役職も上がっていると感じていた私にとっては、

         へこみもしますが、ものすごく新鮮でもありました。

         だって普通に会社にいたら経験できないことなので。

         

— その時のプロジェクトが今の仕事のベースですか?

池照:ゆるくは繋がっていますけど、そのものではないですね。 

         ただ、人の力を強化するというところは同じです。

         

— 卒業後、すぐ仕事に戻ったんですか?

池照:はい。 

         修了後はまた組織に戻ろうと思い、就職活動を始めました。

         いくつかの企業の中には、

         ダイバーシティやワークライフバランスを

         今後ますます社内で推し進めたいので、

         私のようなワーキングマザーに推進していってほしい

         というお話がありました。

         

— ワークライフバランスが、社会にも認知されてきた時期?

池照:そうなんです。 

         それで、「いいな」って思ってお話をうかがいにいくと、

         実際にそこで働いているチームの人たちは

         働く時間が短いわけじゃない。

         むしろ従来の人事部の、

         昔の私のような働き方で、長時間労働なんです。

         「あ、この人たち夜10時前に帰ってないな」って

         面接すればすぐ分かりますから。

         でも会社としては、そういうことを進めたいから、

         「子育てしながらやってください」って言われるんです。

         でも、わたしは、5時にこの人たちを置いて、

         「さよなら」って出来ないな~、

         そこまで割り切れるメンタリティは育ってない。

         どうしようかなって考えてしまいました。

         

— 現場は、ワークライフバランスどころじゃない?

池照:はい。 

         わたしは、こどもが生まれてから

         守っていることがひとつだけあるんです。

         それは、

         「週に2回こどもと一緒に晩ごはんを食べる」ということ。

         これは、今でもずっと守ってきていることで、

         それができなければ仕事は辞めようと決めているんです。

         あと、せっかく大学院にいって経営の勉強をさせていただいたので

         できるだけ経営層に近いところで仕事をしたいと思ったんです。

         やりたいのはこの2つでした。

         この2つを掛け合わせた時に、

         「どうしたらいいんだろう」って考えて出た結論が、

         ICという働き方です。

         

— ここからICという働き方が選択肢に入ってきたんですね。

池照:この働き方を思いついたのは、 

         大学院に行っている時に、アルバイトを頼まれた経験からです。

         昇級するマネージャーのアセスメント面談をする

         アセッサーが足りないということで

         前職の仕事を部分的に手伝ったり、

         評価制度の企画に入ってほしいということで

         アルバイト的に元上司や先輩の仕事を手伝ったことがありました。

         いくつかこのようなスタイルでの仕事を経験した時に、

         「このアルバイトの形をそのまま仕事にできないかな」って。

         

         子育てしながら、

         人事の仕事を経営に近いところでやりたいっていうことを、

         この形で仕事にしてしまうっていうのはアリかなと思って、

         何人かの元上司や先輩のところに相談にいきました。

         そしたら、2人の先輩からそれぞれの会社で、

         「それをやるんだったらうちでやってよ」、

         「人、足らないからさ」って声を掛けていただきました。

         それで、もう決めたら行動が早いタイプなので、

         大学院にいる間に会社作って法人化しました。

         

— 本当に、働き方のイノベーションを形にしたんですね!!

         

         

episode7 近日公開!!
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