2. 新聞記者に向いているキャラクターって?

2.新聞記者に向いているキャラクターって?

— 最初から記者になれたんですか?

山本:幸い、なることができました。理系の修士出身で記者になる人は、当時は多くなかったのと、自ら希望を出していたのとが、理由と思います。ストレートに科学技術の記者として、担当部署に配属されました。

 いろんな人に会いに行って、科学技術のユニークな研究の成果を聞けて、関心を持ちましたし、楽しかったですね。

 研究者は論文や学会発表が、研究成果の発信の機会でしょう。でも、わたしが取材をして記事にすることで、もっと多くの人に伝えられる。論文とは違う形で、社会の幅広い分野の人の目に触れるというのは、やりがいがありました。

 しかも、それをとても若いうちに手がけられる。この仕事は本当に素敵だなって思いました。

— 人見知りとか、初対面の人に会って話を聞くことって、抵抗感なかったですか?

 

山本:その点は大丈夫でした。

 それに、研究者に取材といっても初めは、「学生が大学の先生に質問する」ような感じですから。親切にしてもらえますよ。「分からないって言ったら、みっともない」という構えもしないですむ。「教えてもらっちゃった~」みたいなノリだった気がします。

— お話を伺っていると、キャリアの初期は就職活動を含めて、順調なイメージですよね。

 

山本:そうですね。修士で「研究職を辞めよう」と思った時のショックが大きかったけれど、その後はハッピーな方向へ持って行けました。もちろんミスをして怒られることもあったけれど、楽しかった。

 記者として最初の教育を受ける段階で、よい上司についてもらえたのもラッキーでした。若い時に、どういう人にみてもらえるかというのは影響が大きいですよね。

 もちろん、指導者は社内で相応しい人が選ばれているけど、そうはいってもいろいろなタイプがいて。記者の仕事のノウハウは「その人ならではのもの」なんですよ。

 文章の好みも人によって違う。体言止めを入れると「文章に変化があっていい」っていう人もいれば、「現在のことか、過去のことかが曖昧になるから禁止」という人もいて。よくいえば柔軟性がある。ケースバイケース。一概に「これが正しい」とは言えないんです。

— 誰に指導をされるか、その影響が大きいんですね。

 山本:若い時に言われて印象的だったのは「記者は個性で記事を書く」ということ。入社するまでは新聞記者に、典型的なイメージ、「タフで負けず嫌いでずうずうしい」ってイメージを持っていましたが、実はそんな人ばかりではなくって。

 記者の一番の仕事は、新しい動きとしての【ニュース】を取ることと言われます。文章として優れたものを書くことより、「他のメディアで報道されていないネタをつかんでくる」というのが重視されるんです。わかりやすくいえば、スクープ第一主義、ですね。

 ネタを引き出すためなら、相手をおだててその気にさせてもいいし、法に触れない範囲で強気に迫ってもいいし、土下座して頼み込んでもいい。どんな方法でも構わなくて、それは「記者それぞれの個性でやり方を考えるんだ」って言われて。

 「そうなんだぁ、じゃあ私にもできそうだ」って思ったんですね。

 20代、駆け出しの頃は、「記者という仕事は、社会から何を求められ、どう応えていくものか」の基本を学び、少しずつ「自分らしさ」を考えていく段階だったと思います。

— 若い時から裁量があって、任せてもらえる仕事なんですね。その分ミスをすれば、自分に降りかかってくる、責任が重い職種ですよね。

山本:そうですね。通常の企業で言うと営業職に近いかな。体育会系の人もいれば、お客様の気持ちに寄り添うタイプの人もいるでしょう。会社の中の評価より、外のお客様からどれだけ評価をもらえるのかが、大切。それが結果的に、社内評価に跳ね返るという感じかな。

— 記者の中で、女性は多いんですか?

山本:報道の世界は長く、男社会でしたよね。体力も時間も使うから。でも一般紙だと家庭欄とかあって、昔から「少数だけど活躍している女性はいた」という感じでしょう。

— タイプとしては、先ほどから話に出ているようなバリバリ、男勝りに働いているような女性が多いんですか?

山本:昔はそういう人が多かったと思います。パワーがないとやっていけない。でもこれは記者に限らないかも。男女雇用機会均等法から働いていて、社会的な活躍をした女性は、「有能なうえに気が強くて体力もある」という人に限られる気がします。

 そもそも、就職活動の時から激しい差別を受けてますからね。「女子学生の採用枠はなし」とか、「女子は親元からの通勤に限る」とか、信じられないでしょう。そこでめげていたら、就職すらできなかった。

 でも、均等法以降、わたし達以降は、女性もあらゆる企業で増えてきて。記者はコミュニケーションがキーとなるので、女性に向いている面もあって、増えてきたんではないかな。

— それは、徐々に広がり始めたっていう感じなんですか?入社した時点ではどんな感じでしたか?

山本:男性と同じ内容の仕事をする女性の数というのは、均等法世代で、それ以前と比べて格段に増えたでしょう。

 物珍しくて、社内外の注目を集める最初の世代。だけど辞めていく人も多かった。社内の年長男性はどう扱ったらいいか、社会人になりたての女性はどう振る舞えばいいか、互いにわからなかったのだから。

— 新聞メディア全体ではなく、日刊工業新聞の中ではどうですか? 先ほど、理系で修士の記者は珍しかったというお話だったのですが、女性の記者としては。

山本:日刊工業新聞も記者で女性を採用したのは均等法からだったので、先輩女性記者はわたしより前は数人でした。

 さらに文系のジャーナリスト志望の人が多い中で、理系で修士を出て女性っていうのは珍しくて。その点では取材先にも覚えてもらいやすかったんですよ。

— じゃあ、そのポジションを作ったパイオニアだったんですね。

山本:うーん、別にその時点では何もすごいことはしていませんからね。その時代の中で希少価値があった。ラッキーだっただけ。

 理系は学生時代の専門が明確だから、特徴が出しやすい。文系の方は、社会人になってからの個性というか、専門性を構築するのに時間がかかる。

 理系が研究職以外の仕事で活躍する場合、その意味で今も有利な面があると思いますよ。まあ、逆もいえますけどね。記者のコミュニケーションの部分では、文系の方が学生時代から力を磨いてきていますから。


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